シンデレラガールズについて思うこと(全2回予定)~「声」編~ はせ
お久しぶりです~~~はせがわです~~~
今回はまあ無難にシンデレラガールズさんのお話です。
発端はよく知らないけどここ最近またTwitterとかで「全員に声ついて」とかそういう話をよく見かけるようになったのでそこについての意見です。
結論から言えば「全員に声ついて」って言ってる人は思慮深さが足りないか、もしくは自分の担当ないし好きなアイドルに声つけって言った方がいいのではないかなぁと感じます。
まず「全員に声ついて」論者、は言い方が悪いけど彼らがこの意見を出すに至った理由を考えましょう。
① 現状の声付き声無しの露出
② 「生み出した責任」
とりあえずこんなところでしょうか。漏れがあれば随時追記していきます。
それでは理由①である、「露出度の格差」について考えましょう。
格差があることについて疑問がある方はいないでしょう。
全員に声がつくことを期待している人たちは「自分の担当ないし特に好きなアイドルの露出の少なさに違和感を覚えている」もしくは「こういった状況そのものに違和感を覚えている」方々なのでしょう。
この違和感もまた、間違ってはいないと思います。
ではなにに筆者が疑問を感じているか。
それは「全員に声がつけば解消ないし改善される」という部分です。
最近であれば日菜子、光、茄子、愛海、晴などが新たに声優さんがついてくださり、結果としてSS3Aなどのライブに登場したり曲を頂いたりHARURUNRUNのようにデレステのイベにも出演したりしています。確かにこれだけを見れば「声さえつけば露出が増えて人気が出る、知ってもらえる」と思うかもしれません。
しかしこれはあくまでも「7~80人いる状態で新しく数人増えた」ときの話でしょう。「ここから爆発的なペースで声がついていって一気に100人増えた」場合に今のような露出増加は見込めるでしょうか。
また、アニメ以降で声がついたアイドルのPの中には「うちのアイドルはソロ曲もなければしんげき曲も季節曲ももらえなかった。ユニットのほかのアイドルは全員しんげき曲も季節曲も参加しているし1人はCMでソロ曲もあるのに」という人もいました。これを見て「欲張りだ」と感じる方もいるでしょう。しかし彼からすれば「担当アイドルは『声』という障壁をクリアしているのになぜこのような格差があるのか」となるわけでこれは至極まっとうな「気持ち」だと思います。
この意見で対象となっているアイドルとは別のアイドルですが、アニメにて声がついてからデレステのユニット曲と季節曲以外現状で参加曲がないアイドルというのもいます。(勘違いであればすみません)
ましてやデレステでオリメンではないながらもイベントにて歌唱メンバーに選ばれているがためにいわゆる「オリメン過激派」から出演したイベント自体をよく思われないということも記憶にあるのではないでしょうか。
次にライブですが、これは言わずもがなではないでしょうか。
一度に出演できる人数はある程度決まっていますし、周年ライブの日数もたかが知れているでしょう。
そうなれば必然的に「周年ライブに登場しない人」は出てきます。
「露出の確約」とはいかないわけです。
(また、これは偏見かもしれませんがライブによる露出が人気の向上につながるのは、各ライブにつき「パフォーマンスで魅せ」たり「新しい一面を垣間見せ」た1~5人ほどであるように思われるためこちらにもあまり期待をしない方がよい可能性は高いです)
ちなみにこれはあくまでも「全員に声がついたとき」かつ「現状の運営方針」の場合であるため、この方向での現状の改善を求めるのであれば「全員に声つけて運営方針を変えろ」もしくは「俺の好きなアイドルに声をつけろ」となるわけです。
運営方針や「全員好きなんだけど」といった反論についての簡単な考察は理由②「全員生み出したのだから責任をとれ」論に対する意見の後に書かせていただきます。
それでは理由②の「183人生み出したのだから」論について考えていきましょう。
正直これはまあ一理あるのかなと思わなくないです。
消費者は13人ないし46人ないし37人、39人、50人、52人、そして16人の「全員に声がついているアイマス」が当たり前の状態になっているわけです(46人のものに関しては数に含まれていない6人ほどが問題を抱えている気もしますが)。サービス開始当初は特に13人がいた状態ということは「こんな膨大な人数がライブで躍動するのかも」と思いをはせてしまうこともあるでしょう。
「気持ち」として間違ってはいないと思います。
しかしシンデレラガールズは「ライブありき」のコンテンツではないでしょう。
言ってしまえば「アイドル全員を生み出した責任はなぜ『声をつける』ことでとらなくてはいけないのか」というところでしょうか。
また、後述する運営方針や「全員」の問題はここにも少しの答えを与えてくれるのではないでしょうか。
おまたせしました、運営方針と「全員」にしたときの問題についてのお話です。
運営方針についてですが、「全員に声つけたうえで均等な機会を与え、かつ売り上げていく必要がある」という制約があります。まず前提として「全員声をつける」コスト、そして「均等に機会を与えたことによる売上の不安定さ」というリスクを運営は負う必要があります。このなかで市場規模が小さくなってしまってはコンテンツの問題になります。もちろん機会を均等にすればとんでもない大当たり(の売上)が出ることもあるかもしれません。しかし企業にとって不安定さは効用の減衰につながります。
一度視点をずらしてみましょう。機会を均等化するとどのようになるのでしょうか。
たとえば
・モバマスで月4回、各4人(強SR1、弱SR1、R2)が登場するイベントが開催される
・モバマスでは月に4回、平均5人(SR2、R3)が登場するガチャが開催される
・デレステでは月に3回、平均4人(SSR2、SR2)が登場するガシャが開催される
・デレステでは月平均7人が新曲のメンバーに選ばれる
・デレステではイベントのSRが月に4回、各2人(強SR1、弱SR1)実装される(うち2回は新曲のイベント)
としましょうか。すると
登場 | 曲 | SR以上 | 上位や目玉 | |
モバマスのみ | 36 | 0 | 16 | 12 |
デレステのみ | 23 | 7 | 20 | 10 |
モバ+ステ | 59 | 7 | 36 | 22 |
といったところでしょうか。
今回は韓国組を除いた183人で考えましょう。
すると
登場:約3か月(93日)
曲:2年ちょい
SR以上:約5か月(152日)
強SR:8か月以上(250日前後)
の周期でどちらかのコンテンツで再登場することがわかりました。
この数字をどう見るかは人それぞれだと思います。
自分個人の問題としてとらえ「このくらいの周期なら今より頑張れる」と感じるかもしれませんし「俺は担当一人でやってるんだけどR待ちですら3か月待たなきゃいけないのかよ」かもしれません。
これを鑑みたうえで運営が「声優のオーディションという固定費分がこのような登場周期の均一化で回収できる」と考えたのであれば望みはあるかもしれません
しかし自分はこの数字のリスクの大きさは企業側が売上のためにわざわざとるものではないと感じています。
次に「全員」の問題点に触れましょう。
これはありとあらゆる「全員」という回答への苦言です。予めご注意ください。
唐突ですが「しずかさや いわにしみいる せみのこえ」の句はご存知でしょうか。
恥ずかしながら中学校時代の国語の授業での解説の受け売りですが、この句はいわゆる「蝉時雨」が情景として詠まれているそうです。
蝉時雨、つまり多くの蝉が鳴いている様子ですがそれが「しずかさ」という言葉で表現されているわけです。
もしかしたらこの句は論旨から外れてしまっているかもしれませんが、しかし全員を1人1人平等にみるということはつまり1人1人がその人でなくてはいけないという「かげがえのなさ」がない考え方であると考えています。
博愛主義者の方、残念ながら身近にはいませんが、はどうでしょう。あなたを愛してくれるかもしれません。しかしあなたがあなたである必要はあるのでしょうか。
博愛主義そのものを否定するつもりはありませんし基本的に全員「好き」であることは事実でしょう。しかしアイマスにおける「全員」という言葉には「誰か限定するとそれ以外の人がそうなることを望んでいないように思われてしまうのではないか」という思いが透けて見えることがあります。
現に知り合いには「全員担当。誰かをのけ者にするみたいでいやだから」という話を昔していたPがいました。この気持ちを悪いものだとは思いませんが、しかし「担当していないから好きじゃない」「声ついてほしいと明言しなかったらほかにはつかなくていいと思っている」という強迫観念のせいで結果として「自分の『特別』や『好き』をごまかしてしまう」のは得策ではないと感じます。
運営側ももしかしたらこういうことを感じているのかもしれません。
勿論この話に限りませんが気遣いは時に意見から理論を奪ってしまうので自分も含め注意したいですね。
ここで改めて確認ですが、声がついてほしいと願う理由は「露出が増えてほしい」「責任を取ってほしい」でした。
それでは「露出が増えてほしい」理由は何でしょうか。
①自分がうれしい・・・これが一番大きいでしょうか。納得ができます。問題点を挙げるなら「今既に出番がめっちゃ多いアイドルのPも同じ思いを持っている」ことでしょうか。彼らの思いを踏みにじっていい強い理由はないでしょう。
②知ってもらえる・・・これもあることでしょう。しかしここで注意したいのは「知ってもらえると何がうれしいの」ということでしょうか。機会が均等化されるのであれば人気であろうとなかろうと出番は回ってきます。もちろん「好きなものを周りに好きになってもらう」ことはうれしいことですがそれは強制するものではないですし「好きになってくれたらラッキー」というものでしょう。アイドルは183人もいるわけですから。また、周りから受ける影響というのは良いものもあれば良くないものもあります。これはあくまでも自分個人の意見になりますが「あくまでも大前提としてP(自分)とアイドルの物語」であることからするとなにかの空回りが見えることも少なくないです。
ト○タではないですが「なぜ?」を繰り返してみることも大事なのかなぁと感じます。
以上、「声がつくことをこの上ない魔法だと思ってない?」という記事でした。
読みづらい記事になってしまったかもしれません。
もし読んでいただけてたら幸いです。
ポジパ2曲目よりもNGの展開よりもサンセットノスタルジーが見たいし高森藍子は正直アインフェリアやスパロボコラボイベでそこそこ振れ幅作れたからゆっくりな歩みでもいいんじゃないかなと感じているがそんなことは口が裂けても言えないはせがわ
アイマスにハマった経緯
初めまして。オオマサです。最近暇なので書いてみます。
ただの自分語りになってますが、結論から述べるとアイマスってすごいね?ということになります。
暇なときの時間潰し記事にでもなればと考えてます。下書きに送られそう。
さっそくですが僕がアイマスにハマった経緯をざっくり表すと、
元々漫画好きだった
→「からかい上手の高木さん」にハマる
→作者のTwitterでASのファンアートが流れてきて気になりはじめる
→アニメを見始めたときにアイマスが気になっていたから観る
→毎話OP飛ばさずに観る
→25話ライブシーンでOPが流れて感動する(※)
みたいな感じです。
※ READY!!とCHANGE!!!!って鼻歌歌ってると途中でこんがらがるなぁ、と思っていたのが回収?されて「それだ!」と驚いたのと、あとは純粋に「最初無名だったこの子たちの軌跡は全部つながっていたんだ」と感動して大号泣しました。
上記のどれか一つでも欠けていたらアニマスに出会わなかったか、もしくは視聴がだいぶ遅れていたかなと思います。
またそれとは逆に、上記のどれにも関係ない生活を送っていたとしても何かの拍子にどれか一つに触れていたら芋づる式にアイマスにたどり着いていたかな、とも思ってます。
それまで好きなもの・趣味は漫画、ケツメイシ、スピッツくらいしかなかった僕はアイマスに出会ったことで本当に好きなものを手に入れることができて人生変わったなと真面目に思ってます(もちろんケツメ、スピッツも大好きでしたが)。
毎日の生活の潤いが数倍に上がりました。
今となってはPになる前の自分は何を糧に生活していたのか思い出せないですね…
テキトーに大学卒業して適当な企業に就職してのらりくらり生きていこうとしか考えていなかった自分が今ではある会社に就職したいとかぼんやり考えるようになったり、あとは同人活動をしたいと考えるようになったのもアイマスのお蔭です。
他には、それまで周りに同じ趣味・アーティストを追っかけている人がいなくて孤独だったのがオタクの友人やマッスル研究会の人と知り合って楽しさ・「好き」を共有できる環境に入れてすごく楽しいですね。あといろんなこと(コンテンツとかアニメとか)教えてもらえてそれも楽しいです。
素敵な出会いをくれたアイマスに感謝しています。
上に書いた経緯のように、アイマスはシリーズに関係なく日本のサブカルというんでしょうか、オタク文化の中に広く散らばっているような気がします。漠然とですが。だからこそ触れる機会が多くて色々な入り方をする人がいるんじゃないかなと思います。こんな大きなコンテンツはなかなか無いですし、やはりコンテンツ界の巨頭ですね。
あとは自分のように人の価値観、生き方を変えてしまうほどの影響力を持っているのもすごいと思います。
これくらいですかね。とくに本質とか書けたかというとそんな大層なこと書けてないですが、自分の中の考えを整理してみたかったのでやってみました。
ぐだぐだですが。
他の研究会の皆さんのアイマスにハマった詳しい経緯も知りたいです。是非教えてください!
オオマサ
ミリオンソロ曲とキャラソン
僕は昔からこう言っていた。「READY!!が苦手」「M@STER PIECEが苦手」
別に曲としてはめちゃくちゃ好きだし、思い入れも相当にある。SSAのマスピでぐちゃぐちゃに泣いた記憶もある。
ただ、あれは「アニメソング」であって「アイドルソング」ではない。
アイドルは与えられた歌を歌う。それを聴き、パフォーマンスを観ている客になにがしかの感動を与える存在であるはずだ。
数行前と矛盾するようなことを言うが、765ASは曲と物語の分離が完全になされた脱文脈的な歌詞作りになっている。
彼女たちのソロ曲は、その端々からアイドルを感じることが出来るものの、それは全くもってそのアイドル自身を歌った歌ではない、と言うのが素晴らしい。
そう言った意味では、シンデレラのCMシリーズも付かず離れずの距離感が素晴らしい。
それこそAngel Breezeとか。絶妙な「そうそう!このアイドルが歌いそうな“アイドルソング”なんだよ!」って感じを出している。
メルヘンデビューの『プロデューサーさんは~』のくだりは正直アレだが、まああれはセリフ部分なので我々が聴いてるのは一般販売用ではなくP向けに歌ったものと思っておこう。
勿論、ミリオンのソロ曲にも同様な歌が多い。
例えばdear...が好例で、あの歌詞は馬場このみ、その人のわけがない。だが、彼女を感じることが出来るいい歌だ。
だがしかし、ミリオンライブにはそのような歌もあるものの、やはり「キャラソン」感が占める割合が些か高いように感じる。
別に僕はそれらの曲が嫌いではなく、むしろ好きな部類だが、しかしながらそれらはアイドルソングではなく「キャラソン」という存在である。
我々プロデューサーはアイドル達の様々な面に触れることができるので、彼女らのことを表したキャラソンも深みを感じるが、ファン達はそうではないよなぁ、と。そしてアイドルの歌う歌はファンに向けたものであるべきであると、そう言った思いがある。
いうなれば、「ずるい」のかな?曲以外のバックグラウンドからエモさを引き出すというのは、もしかしたらずるいのかもしれない。
もちろんこれは売り方や制作の違いもあるのだろう。
ミリオンライブはそもそも楽曲制作の指揮系統も従来のAS、シンデレラとは違うし、作家陣も外注で異質なものとなっている。
それに、みんながみんな同じ曲作りをしていたら単調で飽きてしまうかもしれない。
ただ、ミリオンのソロ曲はアイドルソングだけじゃなく「キャラソン」も多い。という事は覚えておきたいし、理解してもらいたかった。
だけど、あくまでアイドルコンテンツとしての残滓として、ミリオンの曲もキャラソンに振り切っていない曲もある。そういった曲を無理に解釈するのは良くない、不毛だという事も覚えておいてもらいたい。
同志
Pミ2018行ってきた雑記
雑記。とりあえず覚えてることメモッとく。
まずそもそも、イベントとして両日めちゃくちゃ楽しかった。トークもいろいろな内容聞けるし、懐かしかったり、知らなかったり、まあこの辺は実際に行かなきゃ説明しても意味ないかなとも思う。
朗読劇もいいね。
そして確認されたのは、やっぱり俺は765プロのプロデューサーだよね、という事かな。帰った来た、ってのに近いのかな。
平田さんが「実家の味噌汁」って言ってたけど、やっぱ帰るべき場所は765なんだなって思わされるね。
今まで765プロと共有してきた時間は消えないし、この先もなんだかんだ765を見ていきたいと思っている。
1日目のテーマトーク中に中村繪里子が「これからもアイマスが続くのが楽しみ」的な客の意見を取り上げてた流れをぶった切って
「残念だけどアイマスはいつか終わると思う。毎回毎回これが最後かもしれないし、運がいいからこの次が決まる、それが続いているだけ。みたいな心持ち。」みたいなことを言っていた。
まあ揚げ足取りをすればこの規模のコンテンツなら流石に最後のイベントは告知するでしょみたいな話もあるけど(実際やや凍り付いた場を和ませるためか、今井麻美は「中村さん、明日もあります」って揚げ足を取っていた)それは置いといて。
やっぱり765Pには、この先の不安がある。でもそれは演者も一緒だったんだなぁってのを、めちゃくちゃに思わされた。
中村繪里子は765プロが「偉大だった先輩」ポジになることを危惧していた。沼倉愛美は泣きながら「アイマスを続けたい」と言った。
中村繪里子は手を離さないでと言っていた。765から手を離してしまったら、もう掴めないものなのかもしれない。
今井麻美は、この8月5日の終演挨拶をずっと前から考えてきたと話していた。しかし彼女は他MCに触発されて泣いてしまって、おそらくその内容のほとんどを話してはいない。
プロミ2017やtwitter等を考えると今井麻美もそのあたりのことを考えていたのではないのか?という感じがある。
あとはたかはし智秋と釘宮理恵。
理恵は、かなりオブラートに包んでたけど、いわゆる“釘宮はライブに来ない”時代の話とか。
だけど書こうと思うと書けないな。
酒飲みながら行ったオタクと話したいね。
ただLvは良くないね。オタクの話聞いてるとやっぱ全体見れなきゃだめだわこういうトーク系。歌なら中央の人抜いてればいいけど、トークは周りの反応を見れてこそだと思った。
メモはこんなもんだけど、たぶんまとめないよ。多分ってか絶対まとめないと思う。
あ、ただ、終わりよければ全て良し、的な感じで、終わり際にみんなこんな感じの話ししてたからそんな印象あるけど、全体としては最初に書いた通りワイワイガヤガヤまじで楽しかった。
同志
互換表に関するお話 はせ
お久しぶり〜〜(オタク特有の時を経たせたがるやつの発展系
てことで書いていきます
互換表あるじゃないですか。
「ミリオンライブのオタクに勧めるシンデレラガールズのアイドル」とか銘打って。
あれにオタクたち怒るじゃないですか。
互換に限らず。
「似てる」で一括りにされることに対して。
あれ気持ちわかるなーって思いながらなーんか違和感あったんですけど今ちょっとその正体わかった気がします。
多分嫌がってる人たちは一括りにされることによる「アイドルの情報の損失」を嫌ってるんだろうな、って感じなんですよね。
言うなればアナログ信者。こう書くとさすがに良くないけどflacとかlossless(綴りあやふや)みたいな感じ。
でも互換ってそういうことじゃないんですよね。
容量32GBのスマホで音楽聴くときに曲数多く入れたいからmp3にする、ってのもアリだと思うんですよ
だから互換を嫌がる人って耳が良すぎるんだなぁって思いました。
学んでいる分野の関係で「モデル化」ってのが結構密接?に関わってくるんですけどその感覚からすると少し嫌がりすぎなのかなぁとは思います。
まあモデル化する上でやり方が適切じゃないといけないってのはあるんでそこは考えどころなのかもしれません。
以上です。
……いつもに比べてめちゃくちゃ短いな????
たまにはこのくらいでポンポン出してもいいのかもしれないですね。
実は今回の話さっき気づいて結構「俺の違和感それだったか〜〜〜〜」って腑に落ちました。
耳も良くないのでファイル形式ごとの音の違いがわかってないはせがわ
楽しむことについてアイマスしか知らないオタクが御託を並べる はせ
ダミーサークルによる宗教勧誘みたい。 はせがわです。
忙しいはずなんですけど今日だけ気持ちに余裕があるので更新します。
ここ最近?でもないか、自分もたまに記事で触れている通りオタクのひりつき案件が多いように感じます。
今回はその全体に対する論調への話です。
先ほどTwitterを開いてTLを眺めていたところ「シンデレラを楽しめるのは"担当に展開があればそれそのものだけでうれしいと思える人"」という主旨のツイートがそこそこのいいねとRTとともに回ってきました。いいね、RTそのものが賛同ではありませんが一定の賛同が得られていると仮定したうえで話を進めていきます。
結論から言えばこの言説は大きな誤りである、という確信があります。
流れとして言説の確認をしてから問題だと感じた点をぐちゃぐちゃ書いていく感じでいきます。
それではまず、この言説の中身を紐解いていきましょう。
とはいえ、自分はこの言説を出した本人でもない上にこの意見に賛同しているわけでもない、さらに言えば"シンデレラガールズを楽しめる人"でもないためここから先の話は「自分から見えている"この意見に肯定的な人たちからのオタクの見え方"」となっていることに注意してください。
おそらくこの言説は先述したような「ひりつくオタク」との対比が裏に強くあることが想像できます。
理由は対比の意図がない場合別にする必要のない言説であるからです。
「楽しめる」かどうかなんて実際どうでもいいし、楽しめていないやつが目に入らなければ楽しむかどうかを規定する必要はない、といえば少しは砕いた表現になるでしょうか。
つまり、この言説の裏には最近目につく"楽しめてないやつら"がいるのです。
それでは楽しめてないやつらの特徴とは?
それは「ひりついてるオタク」に他ならないでしょう。
担当がこんな扱いをされていて許せない、モチベがわかない、デレステは本気でゴミ...
楽しくなさそう。確かにその通りかもしれません。
彼らは一度考えたはずです。楽しそうなオタクってどんなだ?と
その結論がささいなことに幸せを感じられるだったのでしょう。
たしかにそのような人たちは楽しそうです。それは間違いないでしょう。
それではいったいこの言説のどこに誤りを見出したのか。
それは
- 論理として強いことを言いすぎている
- 「ひりつくオタク」のまとめ方の問題
- 幸せや楽しいが一面的
といったものです。
まず、この言説を見直しましょう。
「楽しめる人は"喜べる人"」となっています。
つまり楽しめる人の全体集合をA、喜べる人の全体集合をBとすると
A⊆B
を言っている、ということになります。
つまり"ただ喜べない"人、Bに含まれない要素はA、つまり楽しめている人にあらず、と言っていることと同値です。
(先ほど自分も「確かに喜べる人は楽しそうである」という解釈をしましたがこれも少し危険な解釈、ということになります。
我々はしばしば元の命題が真であることの説明やそれを元にその裏や逆が正しいことを示してしまいがちである、という良い例でしょう。)
実際には先ほどの自分の"誤った"命題への解釈である"ただ喜べる"人は楽しめている人であるが正しいでしょう。
なぜか。彼らは「ひりつくオタク」ではないであろうことが予想されるからです。
彼らに見えているのはあくまでも「楽しくなさそう」であることのみ。
言説、というより命題が正しいとできる証拠がないため、一般には成り立たないと結論付けるべきなのではないでしょうか。
次は「グルーピング」の問題ですね。
これも正直憶測だらけなので注意してください。
彼らは"ただ喜べる人"やそれに準ずるものに自分を置いている可能性が高いです。全員ではないかもしれません。自虐の意味を込めているかもしれません。
しかしこれは多くの人にうなずいていただけると思っていますがいくら数が増えた(かもしれない)とはいえ「ひりつくオタク」がマジョリティーではありません。
ただ喜べる、すくなくとも「展開に対して文句を垂れる」ことはしないオタクがマジョリティーであるでしょう。その場合、最初の命題を支持している層のマジョリティーが「ひりつくオタク」である可能性はあまり考慮しなくてもよいと考えられます。そのためその前提のもと話を進めます。
そして、彼らはどうグルーピングしているのか。「喜べる側」と「喜べないときがある側(ひりつく側)」ではないでしょうか。
これは集合の区分としては行き過ぎているくらいラフである、というのが自分の見解です。
特に「喜べないときがあるオタク」に関して「楽しめていない」で括ってしまっているのは問題でしょう。
先述した通り彼らが確かであることを主張できるのはせいぜい「喜べる人は楽しめている」ことだけであり、それ以外のオタクに関しての言及はできません。
もちろん実際に直接言及はしていないのですが……
余りにもラフに区別したうえで最初の命題のような「強すぎる主張」をするとどうなるでしょう。
結果として俺らみたいな触れ方をしていないオタクは楽しめていないやつらなんだという決めつけにつながってしまうのではないでしょうか。
(少し話が逸れてはしまいますが気に食わないこと、人に対して「そういうことしかできないかわいそうな人なんだよw」という話に近いです
問題なのは彼らの行動自体でありそこに対して「かわいそう」や「楽しめてない」といった少しずれた意見はクリティカルではないと言わざるを得ません)
意見を出すうえで対象をラフにすることは有効ですが、そのときは言っている内容が確からしいものであるか、仮定の上に成り立っているのかを改めて確認する必要があるかもしれません。
最後に「幸せ」や「楽しい」の話です。
ここまで書いてきたように、今回の命題で自分が問題だと思っている部分の核となっているのは「楽しめるかどうかについての決めつけ」です。
楽しみ方が一つだけだと思っている
方はいませんか?公式の展開に対してごたごた無駄だと思えるようなことを考えてあーだこーだ言ってる人は楽しめてない
と思っている方はいませんか?これはPとしてのあり方につながってくる話であると感じていますが、結論から言えばただ受け入れることもあーだこーだ考えることも大事な楽しみ方なんです。
これをわかった上であれば最初の命題がいかに強すぎることを言っているかがわかるのではないでしょうか?
ここまで「あーだこーだ」書きましたがこの命題が意見として出されるというのはうなずける話だと思っています。
実際一つ前の記事
muscleresearch.hatenablog.com
で取り上げたような「ひりつき」に関しては自分は「騒ぎすぎ」だと思っていますし見ていて心地よくはないためです。
今回の「ツイート」もこのような「不快感」が根底にあったのかもしれません。
「何も感じなかった自分はおかしいのか?」「自分はコンテンツへの触れ方が浅いからひりつかないのか?」などと不安になった方もいるでしょう。
ただ、今回のようなまとめ方は結果的に自分たちの首を絞めることにつながる、と感じています。
なぜなら主語を大きくしすぎる、共感を得ようとして感情に訴えかけようとする...といったことをした結果
主張が誤ったものになってしまう
ためです。自分の感情は押し殺していいものではないですし感じたことや意見は表明していくべきでしょう。
しかし本質からは外れないように気を付けなくてはなりません。
最近見かけるアイマスやそのオタクに対する言説はこの部分を欠いているものが多いと感じ、少し危険である、と感じました。
例えば「ひりついてるやつがうざったい」のであればなにが「うざったい」のか、なぜ「うるさい」と感じるのかを考えてみてほしいです
その中で「そういう意見を持ちたくないから」というのが出てくることもあるかもしれません。それを認めたくないのかもしれません。
しかし長いものには巻かれることもあるでしょうし何も考えていないことに「こういう考え方があるんだけど」と言われたら「そうかもしれない」と思ってしまうのは仕方のないことだと思います
大事なのは「この意見を出している人には何が見えているんだろう」と考えてみることなのかなぁと、そう思います
ここまで長々と書いたものを読んでいただきありがとうございました。
ある程度構成を練ってから書き始めてはみましたが結構支離滅裂になってしまったかもしれません……
そして後半に関しては自分自身できているか怪しいところではあるのでより一層気を付けなくてはならないですね
精進します。多分。
[Twitterであーだこーだ言ってたらその内容とか前後の言葉とかそもそもあーだこーだ言うことそのものに知り合いから苦言を呈されたのでここの更新頻度があがるかもしれない]はせがわ
担当の上位イベ はせ
さあ身の回りが色々やばいです。はせがわです。
それはそれとして書いていきます。
今までと比べて少しずつ見やすくしていきたい。です。
ミリシタで「担当の上位イベなのに知らん女の知らん曲、とまではいかないけどそういうのが悲しい」っていう意見があって、これに賛否両論色々オタクの汚いところから汚いところまで出てきてたんですけど、
まず自分としては今回の件に関して、事情を全て把握はできてないけど騒ぎすぎである、と感じました。
しかし同時に同じ意見を全P、厳密に言えば各アイドルの担当Pについて同様には語れないとも考えました。
その意見に至った視点として
①詩花の登場について
②ミリオンライブの自分なりの捉え方
③アイドルの上位イベとはなんなのか
があるのでそれぞれ見えているものの言語化をしていきます。
①
今回問題となっている、というより問題提起をしてくださったPの方のうちの一部の方の発言にはこのような主旨のものがありました。
「普通に詩花を上位にしてくれればよかったのに」
たしかに詩花が上位報酬であればイベ曲の扱いも納得がいくかもしれません。しかしそれはできなかった。なぜか。
詩花はミリオンライブの世界に今回「はじめまして」だからです。
つまり「詩花」というアイドルを知らないP、ファンが多く、「知ってもらう」ことが目的にある登場であった、と考えています
知ってもらうためにはより多くの人が詩花を手に入れられる必要があります。
これに関しては2016年末からモバマスで開催された「876コラボ」で876プロの3人は完走SRもしくはRで登場していたことからも今回詩花は上位報酬にはなり得ないことが納得できるのではないでしょうか。
つまり「詩花が上位ならよかったのに」は気持ちとして理解はできるけど合理的な意見ではないと言わざるを得ないです。
気になるのは当時の876コラボの時の上位報酬のアイドルたちのPがどう感じていたか、でしょうか。しかしこれは「曲」があったわけではないのであまり重視しすぎるべきではないのかもしれません。
②
次に、そもそも今回事件?が起きたのがミリオンライブであるということに対して、個人的には疑問がありました。
それはやはり登場周期の問題、そしてそれと関連のあるミリオンライブのコンテンツとしての姿勢があると思っています。
ミリオンライブに触れてきた方々、特に4thの武道館に触れてきた方々なら一度は聞いたであろうセリフ、
「ミリオンライブはみんなで足並みを揃えて」。
これこそがミリオンライブのコンテンツとしての根幹の一つであり、現にUNION!!でも
「1人も手放さない」
と表現されていることから重要な考え方の一つであることに異論はないでしょう。
その観点から、まずある程度の「機会の均等化」が頭に浮かぶ方も多いと思います。これに対してうちの担当は全然出番が与えられず20コスが全然来なかったり、それだけじゃないと憤る方の気持ち、ごもっともです。しかし、少しずつミリオンライブとシンデレラガールズを嗜んでいる身からすればこれでも機会が与えられてるだけまともだと感じています。
ミリオンライブのアイドルの中で目玉にも上位にもなったことがないアイドルはいたのでしょうか?集計はしていません。しかし、いないでしょう。
そして、シアター組に限れば年に1回、一人一人が上位報酬になるイベントがある。
つまり、上位イベは一回きりではないといえます。それはこれからもこの先もそうであろうことが想像でき、そう想像するのが賢明ではないでしょうか。
これは自分の過剰な解釈かもしれませんが、さも「これが唯一、もしくは初めての担当イベ」であるかのような論じ方には違和感を禁じ得ません。
これが仮にシンデレラガールズであったらどうでしょう。何度も「上位イベ」がきているアイドルもいれば、いつもガチャというアイドルがいて、さらにいえばそのいずれもないアイドルがいます。
「だから我慢しろ」が言いたいことではありません。しかし、ミリオンライブというコンテンツを考えた時にその感情は一度向き合うことも必要なのではないでしょうか。
③
(最初に言っておきますがここの内容は自分語りを含んでいます、ご注意ください)
「担当アイドルの上位イベ」、これは一体何者なのでしょうか。
自分の感覚で言えば、「走る」ことと「楽しむ」ことは別物であると感じています。
自分の話をしましょう。
自分は「担当アイドルがいない」ということを過去記事で何度か触れています。
しかしこれは「みんな大好きだから決められないよ〜」ということではなく(もちろんスタートラインとして全員好きでいるつもりではいます)、「まだ担当を名乗れる程度になっていない」という自戒からくるものです。
そのため、「特に好きなアイドル」は存在し、その話題になったときによくあげるアイドルは「本田未央、高森藍子、喜多日菜子、ロコ、周防桃子(、萩原雪歩)」となっています。
自分自身の、個人の掟として「担当を名乗るのであれば一度はイベで上位に入りたい」というものがあります。ここでいう上位はモバマスやデレステでいう2000位であり、ミリシタでいう2500位、グリでいう1200位がそれに該当します。
つまり、担当イベだから走るはある程度正しいものとして自分は捉えている、ということです。
それでは実際に自分はどのようにしているでしょうか。
まずグリー。彼に然りモバマスに然り「効率の良い課金」や「無課金で勝負する方法」を体得する前にイベントに挑んだため一度一度でのアイテム消費や財布への圧迫は激しく、感動イベを含めて3度の入賞にとどまっています。
内訳は雪歩2ロコ1(TYS)(桃子0)。
そしてミリシタ。過去記事で色々のたまっていますがなかなか頑張ることができないまま今日を迎えてしまっており上位入賞は閃光HANABI団高山紗代子1度のみ。
モバマス。こちらは初めて走ったのが5thアニバアイプロであったりとそもそも担当上位がくることを念頭に置かずに遊んでいます。そしてなによりスタに振ってしまっているためフェスで[ひらひらふわり]されてもイベとして走ることができません。
結果として未央1藍子1(日菜子0)ほか7。
デレステ
こちらは一転、「がんばる理由」が必要であり結果として2回の上位入賞経験は両方「高森藍子参加曲」であり、「シンデレラガールズで一番好きな曲」のFlip Flopと「本田未央上位」の情熱ファンファンファーレのみ。
ここまで見るとわかるように、「特に好き」で走っているイベもあれば「アイドル個人」がトリガーとなっていないイベがあるように感じます。
「初めて」を強く意識して走ったのは雪歩初回やTYSロコ、未央ドリフや藍子ツアーが当てはまります。しかしこの中で、高森藍子上位のライブツアーカーニバル以外は仮に「内容」がおかしくても憤慨することはなかったであろう、と考えています。
あくまでもこの意見は後出しであり、実際に今後そのような意見を出すことがないと明言するものではありませんが、この考え方には自分なりの理由があります。
それは、自分にとっての現在走っているイベを走る理由は上位報酬、そして「上位入賞したという経験」を得るためだからです。
これは非難されることもある考え方だと思います。実際こういった「走った」イベントではそのイベント内テキストをよく覚えていない、ということがままあるためその部分に関して「本末転倒である」とのご指摘をいただいてしまうかもしれません。
しかし、自分個人としてはそれでもいいと考えています。
なぜなら「上位に入った経験を有する」ことが自分の中での資格取得の1条件であるからです。
これを否定される筋合いはありません。
それではなぜ今回の件に長々と意見を書いているのでしょうか。
それは先程述べた「走る」と「楽しむ」の違いにあると思っています。
あなたはアイマスのソシャゲに関して、「なぜ上位に入賞したいですか」と聞かれてなんと答えるでしょう。
この答えは人それぞれであり、またイベントや上位のアイドルなどにもよると思います。
その上で今回の件の方の発言を振り返ると、「昴Pである」ことを文中で述べていたかと思われます。
国語の読解の問題は苦手ですが、あのツイートの中に入れたということは、「彼ないし彼女が今回のイベを走る目的は上位報酬である永吉昴にあった」と捉えるのが一般的ではないでしょうか。
それではなぜ彼ないし彼女は担当アイドルのイベントを走りたかったのでしょうか。
仮に自分の理論を適用するとしましょう。つまり、「上位入賞の経験がほしかった」というものです。この場合、あくまでも目的は「上位入賞」であるため、いくらイベ内で詩花がフィーチャーされようとも動機づけの減少には繋がらない、と考えることができます。すると「走る気がなくなる」ことはなく、現実と矛盾が生じます。
つまりこの仮定に問題があったのでしょう。ほかの仮定をします。
「彼ないし彼女にとって初めての担当上位イベであった」というのはいかがでしょう。たしかに、つい最近あった感動イベからミリオンに触れた、もしくは感動イベで走ってみたが届かず期を伺っていた、としましょう。しかしこの場合も大半は先述した「上位入賞経験という報酬」が目的となり、そうでない場合「楽しむ」ことを主眼に据えることはあっても「走る」ことを主眼に据える必要というのはないでしょう。つまり、この場合の結論は「走る理由がない」になると思われます。
それでは「今までありとあらゆる永吉昴のイベで走ってきた歴戦のオタク」である可能性も考えましょう。この場合、グリー版の頃から触れてきており、走る目的は「上位をとりつづけること」であると考えるのが自然でしょう。その場合、既に永吉昴と紡いできた物語が多い分、「内容」の寄与は先程よりも小さくなることが想像できます。つまりこの仮定も矛盾が生じます。
それではシアターデイズ特有の「新しいユニット曲を与えてもらえると思っていた」というのがなにかしらのモチベになっていた可能性を考えましょう。その場合たしかに詩花に歌われてしまってはたまったものではありません。しかし、ここでも「走る理由がない」というのが挙げられるのではないでしょうか。
大事なこととして、走って得られるのは称号と☆4のカードであり、それ以外に得られる「モノ」はほぼないということが挙げられます。
経験という報酬もありますが、こちらもカードや称号と役割に大きな違いはありません。俺はこいつのためにこんだけ頑張れたという満足のための道具と言ってしまっても過言ではないでしょう。
「動機づけには2種類ある」というのは前回の記事でも書きましたし、そもそも学校などで既に知っている方も多いかと思われます。
「楽しい」などの外的な報酬を必要としない「内発的動機づけ」
と
「金銭」「称号」「名誉」といった報酬を目的にした「外発的動機づけ」
の2種類です。
「走る」という行為に関しては完全に「結果期待」です。「楽しいからぽちぽち触ってたら上位報酬とれてた」という場合「走る」という表現をイベ開始直後から使う方はいらっしゃらないでしょう。
現に自分もアイドルLIVEロワイヤルでなにを思ったかSレアボール集めを楽しんでアイテムをジャバジャバ溶かした結果3088位というわけのわからない順位をとっていたことがありますがもちろんこれは「走る」ではないと考えています。仮に上位入賞していても「気づいたら走ってた」というのが適切な表現になるかと思います。
話が少し逸れてしまいましたが、重要なこととして
「自分は走りたいのか、それとも楽しみたいのか」
は考えておく必要はあるかもしれません。
この2つは独立した考え方であります。つまり今の言い方はあまり適切ではなく
「自分は走りたいのか走りたいわけではないのか」
「自分は楽しみたいのか無理に楽しまなくていいのか」
の2つの事象について吟味しておくべきである、という方が正しい主張であるかもしれません。
余談。飛ばしていただいてもかまいません。
今回「担当だから走る」ということに触れて話をしてきました。
しかし全員が全員そうではないでしょう。
これをすべて「多様性」「人それぞれ」で片付けてしまうのは簡単です。
しかし、「捉え方がどう違うのか」について考慮しないとただ「臭いものに蓋をした」だけになってしまいます。
ちなみに自分は先述した通り「担当を名乗るなら走った経験の1つや2つはないと」と自分に言い聞かせています
もちろんこれは他人に強制する主旨は全くなく、現に周りにも担当アイドルのイベントを走っていないというPがいます。
ここで考えたいのが「担当」の捉え方です。
担当アイドルはほかのアイドルと別であり、担当アイドルから見た自分もほかのPやほかのオタク、ほかの大人たちとは別である、というのが自分の考えです。
その上で「担当を名乗るだけの理由」「担当を名乗るからにはこの結果がないと」と考えたのが自分ですが、担当イベで走らないというPはここがない、もしくは考える上でイベントというものを重視していないことが挙げられます。
…これって1番強いんです。
明確な根拠がない。
「俺は〇〇だからこいつ担当だ!」という言説は説得力がありますが、〇〇の崩壊で崩れます。
しかし、「特に何もないけどこいつがうちの担当アイドル」というのは強固な言説であると言えます。
これはほかのオタクがなにを言うかに左右されず、またコンテンツの多少の揺らぎでぐらつくこともない「絶対的な自信」になり得ます。
つまり、「担当上位イベ全てで全一」よりも「強い」のです。
アイマスPは「担当だから走る」ということを一度忘れ、もしくは乗り越え、「絶対的な自信」を手に入れることこそが真の目標なのかもしれない、感じています
ここまで長々と今回の件に関連した話をしてきました。
読みやすさを考えてはみましたがhtmlの記法に慣れていないこと、自分の考えをまとめられていないこと、人に考えを伝えるということを普段からしてこなかったことなどなど、さまざまな理由で今はこの程度が限界でした。
アイドルのプロデューサー、という「ごっこ遊び」をしていく上で立ちはだかる壁はさまざまあるかと思いますがなにか考えのキッカケになるような、そんな記事になれば嬉しいです。
はせ