〼研のゴミ箱

マッスル研究会の構成員が自分が考えてることを表明します。

SHOWROOM MR星井美希 感想

同志们好〜!(習近平)
どうも、同志です。

SHOWROOM星井美希配信、良かったっすね〜
美希ちゃんと伊織ちゃんがとても好きなので非常に楽しんで観ることができました。声も可愛いし顔も良すぎる。神ね。
やってることはバーチャルライバーでしたね。時代の流れ来てるな〜!3Dモデルは全員分あるんだし、これ理論上は全員できるってことですよね。うおおおお新たなビジネスが始まる_。

選曲もナイス!Day of the futureは初星でやっているものの、そもそも曲が強いし、以前の干され方から鑑みるに連続でやっても不満は出ない、いい選曲だったと思います。

で、最後、要審議パートきましたね。担当じゃないので外野がお気楽な意見を述べていると思ってください。ってか本当にお気楽に話します。

如月千早MRでも指摘しましたが(
muscleresearch.hatenablog.com
)、舞台裏演出?というか、我々をプロデューサーとして扱うのは、若干具合が悪いと思います。
っていうか、そもそもDMMシアターでやっていたようなMR自体がプロデューサー要素に対して相性が悪かったんですよね。
声優はアイドルの「声」をあくまでも担当しているにすぎず、アイドルを恣意的に利用することは許されないというのはアイマス界の常識(?)だと思います。
これは実体としてはコンプラ的な問題もあるんだろうと思いますが(著作者人格権って言うんですか?)、ミリオンやシンデレラをイメージしてもらうとわかりやすいのですが、ライブとかでも声優は当然「声優」として出てきますし、最後の挨拶とかもキャラ声で喋る際には自分でセリフを創造せずに既存のセリフの引用に留めるか、「ありがとう!」「楽しかった!」「最高!」とかの当たり障りのない言葉に留めますよね。
つまり、従来のライブに参加するという行為は声優を相手にした活動で、アイドルを相手にしたプロデュース活動ではなく、声優が呼びかける「プロデューサー」は「ファン」を呼び替えただけのジャーゴンであったわけです。
しかし、MRは違います。世界線の問題もありますが、とりあえずはゲームとの同一性を保持した(各特定の世界線におけるアイドルを愛している方々には申し訳ない表現だと思います)アイドルそのものが舞台に居て、「プロデューサーさん」と呼びかけてくるわけですね。これはジャーゴンではなく、正真正銘のプロデューサーへの呼びかけです。
これは先ほどの如月千早記事のようにファン/プロデューサーのスイッチングという観点からも相性が悪いですし、「ぼくはそんなこと感じませんが」敏感な人は会場にいる自分以外の人々に自分の担当アイドルが「プロデューサー」と呼びかける姿を見て「俺以外の誰がプロデューサーなんだ?」ってなるらしいですね。なんかそんなレポ漫画を読んだ。

今回、一旦終了の画面が出るまでは、星井美希はプロデューサーに呼びかけることなく、配信は終始、配信者美希vs.視聴者オタクの構造で進んでいました。非常にすわりがいいじゃないですか。誰も傷つかない。オタクもハッピー。新しいアイドルの活用方法ですね。
しかし、終了画面を出したのち、再び配信が動き出して(ライブで言えばアンコールでしょうね)プロデューサーとお話しする舞台裏パートを挿入したわけですね。

(なんか批判的っぽい書き方していますが、私はいいと思っています!!!!)

Twitterでオタクがふざけて「美希ちゃんが配信切り忘れて事務所の男とイチャイチャする云々」のお気持ち表明4枚スクショをするのを見かけましたが、まあつまりそう言うことですよね。ツイートした本人はおふざけでやったかもしれませんが、その指摘は今回の争点(別に誰とも争っていないのですが)ドンピシャで、そもそもSHOWROOMという媒体での配信にプロデューサーとの会話を挿入することが不自然なわけですね。

今回は
SHOWROOMを通してMRを行った」
のではなく、
「アイドルがSHOWROOM配信をした」のをMRと呼ぶ
わけですよね。SHOWROOMは単なる「場」を提供しただけでなく、それ自体が今回の企画内容に含まれているんだから、プロデューサーとのおしゃべりは無い方が完成度高い企画になったんじゃないかな〜と思います。


完成度と満足度は別物です。求めるべきは最大多数の最大幸福(≒最大満足)だとも思います。
完成度を高めて面倒くさいオタクの反感を買わない最後のパートなしver.よりも、大多数のオタクが「お、粋な演出だね!いいね!」となるような最後のパートありver.の方がいいんじゃないかな、と、ぼくも思います。

じゃあなんでこんな文章書いたんだよ!!!!!!!!

寝れなかったから…


同志