〼研のゴミ箱

マッスル研究会の構成員が自分が考えてることを表明します。

仏教的“我”の解釈とアイドルマスターのアイドル ―牽強附会侍、推参いたす

アイマス最高!一番好きなコンテンツです!(マジ)
どうも、同志です。
この前書いた星井美希の記事から発展して、我々プロデューサーが担当アイドルをどう認識するかについて考えてみました。

アイマスと他の二次元アイドルコンテンツとの最大の相違点は、「世界線」なのかもしれません。
アイドルマスターの各作品はそれぞれ別個の世界観を有しており、大まかな世界設定は一致しているものの、設定に出入りがあり、また、時系列を共有しません。

※765とSideMとシンデレラとかいう大きなレベルでの話ではなく、765の中でも各ゲームで時空が違ったり、アニマス時空があったり、各種コミカライズ時空があったり、というレベルの話です

したがって、アイドルの名前だけでは個人を特定できないはずなのですが、しかし我々は特定の担当のアイドルがおり、「特定の世界線のアイドル担当」というプロデューサーさんはまぁ〜〜〜少ないです。と言っても会ったことがないだけで、いるっちゃいるのかも。
つまり、我々は特定の時空のアイドルを担当しているのではなく、各時空のアイドルの諸概念を統合したアイドルを担当しているということができます。

この際に見ることができるのが、“還元”(と今は呼んでおきます)です。

アニマスが一番わかりやすいのでアニマスを例にとります。アイドルも誰でもいいのですが、じゃあ真にしましょうか。

アニマスの真は“赤羽根Pが担当している真”であって、“自身の担当アイドルたる真”ではないのですが、
“仮に自分が担当している真もああいう状況だったらそういう感じなんだろうな”という部分から、真の持つ概念を抽出し、自身の中の“真”に“還元”するわけです。
であるからこそ、真を評価する際に、アニマスのエピソードを引き合いに出すことができるわけですね。

また、一般論のように“還元”のテクニックが用いられているかのように書きましたが、この“還元”という作業が上手くいかない場合も往々にしてあるわけですね。
簡単に言えば解釈違いですね。公式のこの発言や態度はおかしい。このアイドルはそんなことをしない。といったやつです。
そういう人々は往々にして思想が強いとして邪険な扱いをされてしまいます。
しかしまた一方で、このように断罪することは、非常に恣意的な態度であると言わざるを得ない場合もあるわけです。

例えば、ぷちますは(その出典がどうであれ)現在ではオーソライズされた正式な作品ですが、果たしてぷちます内のアイドルを自身の担当アイドルに“還元”する人はいるでしょうか?
A「なあ、天海春香の魅力を語ってくれよ」
B「彼女は悪い結果をもたらすとわかっていてもすぐにはるかさんに水をかけたがるところが……」
・・・ないですよね。ゼノグラシアも然りです。
公式作品だろうとキャラのブレが甚だしい場合はこの“還元”が作用しないわけですが、その判定基準が「己の中のアイドル像」である以上、誰も他人の“解釈違い”に文句を言う筋合いはないわけです。
「そうはいってもぷちます/ゼノグラシアは世界観が特殊だろう」
確かにそうかもしれませんが、例えばミリオンのコミカライズであるBlooming Cloverにおける765ASのキャラクターの動き方に違和感を持つという人はしばしば見られるのではないでしょうか。要出典。

また一方で、幅広い範囲での“還元”も存在していると考えられます。
これは「担当声優とアイドルの同一視」というようなテーマでしばしば(プロデューサーを馬鹿にするために)持ち出される議論であり、事実私も昔はこれはよくないかな、と思っていました。
しかし、彼らが行っている行為は
「ライブでの声優のあのパフォーマンスは、俺の担当アイドルがもしライブをやったらそうやってもおかしくないな/いいな」
と思った結果行われた“還元”であると理解すると、非常に納得のいくものとなっています。

最近再び話題になったゆうぱっく事件とか、これの典型じゃないでしょうか。中村さんがやったあの行為は、天海春香もやりかねないなぁ~と思ったからアニメに(強引に)輸入されたわけですよね。
これ以外にも、アイマスは“公式が”声優から設定を作り上げる例が多々あり(美希のおにぎり設定が有名ですね)、ある意味奨励されている楽しみ方であるともいえます。
まあこの“還元”に対するモチベーションが強すぎると山崎はるかが許せないオタク君が爆誕したり、声優個人のライブでコンテンツの話をしてしまうオタク君が出てきたりして面倒くさいので、そこは勘弁してほしいのですが・・・

前置きがめちゃくちゃ長くなっちゃいました。MRの話です。
MRで登壇しているアイドルは“MR時空のアイドル”であり、“自身の心の中にいるアイドル”ではないのです。
我々はMRにおけるアイドルの一挙手一投足を自身の心の中のアイドルに“還元”するべきであって、目の前のアイドルを即自身のアイドルと思ってはいけません。
このように考えれば、自分以外のオタクに“プロデューサー”と呼びかけるという事案も、“これは自分の担当アイドルその人でない”と解釈できて問題にならなくなるわけですね。すごい!

まあ、この理論を使っても“アイドルの前にプロデューサーが大量にいる”という状況の異常さは解消されず、
[アイドルの用いるプロデューサーという呼称]が[声優や関係者一同の用いるファンの言い換えとしてのジャーゴン]に見える、という構造的な問題が残り続けるので、やはりMRは相性が悪いと言わざるを得ないのですが・・・

(あ、脱線していいですか?僕、実は北沢志保の弟という存在にある種神秘的な部分を感じていました。コミカライズで“りっくん”が出てきたときはふ~ん、と思っていたのですが、ミリシタの1コマ漫画でこの名前が使われて、非常にショックでした。僕は自身の北沢志保像に陸を“還元”していないですし、幸か不幸かグリマスに陸が登場することは不可能なので僕の中での北沢志保の基準点となるグリマス時空も守られるので別に構わないのですが、現存するミリオンライブの最大手コンテンツであるミリシタをプレイするとそこそこの頻度であの1コマがローディング中に表示されて精神にダメージを受けています)

もっと書きたいことはあるのですが、ちょ~っと大学の課題とか講義とかがヤバイ状況なので、執筆途中だけど公開しちゃいます。
これから機会をみつけて更新したり修正したりしようと思います。
未完成品出すってあんまりやる側も気持ちよくないし、見る側もあれだろうけど、ごめんなさい。

同志