〼研のゴミ箱

マッスル研究会の構成員が自分が考えてることを表明します。

シンデレラガールズについて思うこと(全2回予定)~「声」編~ はせ

お久しぶりです~~~はせがわです~~~


今回はまあ無難にシンデレラガールズさんのお話です。


発端はよく知らないけどここ最近またTwitterとかで「全員に声ついて」とかそういう話をよく見かけるようになったのでそこについての意見です。

結論から言えば「全員に声ついて」って言ってる人は思慮深さが足りないか、もしくは自分の担当ないし好きなアイドルに声つけって言った方がいいのではないかなぁと感じます。




まず「全員に声ついて」論者、は言い方が悪いけど彼らがこの意見を出すに至った理由を考えましょう。

① 現状の声付き声無しの露出
② 「生み出した責任」

とりあえずこんなところでしょうか。漏れがあれば随時追記していきます。



それでは理由①である、「露出度の格差」について考えましょう。
格差があることについて疑問がある方はいないでしょう。
全員に声がつくことを期待している人たちは「自分の担当ないし特に好きなアイドルの露出の少なさに違和感を覚えている」もしくは「こういった状況そのものに違和感を覚えている」方々なのでしょう。

この違和感もまた、間違ってはいないと思います。

ではなにに筆者が疑問を感じているか。

それは「全員に声がつけば解消ないし改善される」という部分です。


最近であれば日菜子、光、茄子、愛海、晴などが新たに声優さんがついてくださり、結果としてSS3Aなどのライブに登場したり曲を頂いたりHARURUNRUNのようにデレステのイベにも出演したりしています。確かにこれだけを見れば「声さえつけば露出が増えて人気が出る、知ってもらえる」と思うかもしれません。


しかしこれはあくまでも「7~80人いる状態で新しく数人増えた」ときの話でしょう。「ここから爆発的なペースで声がついていって一気に100人増えた」場合に今のような露出増加は見込めるでしょうか。

また、アニメ以降で声がついたアイドルのPの中には「うちのアイドルはソロ曲もなければしんげき曲も季節曲ももらえなかった。ユニットのほかのアイドルは全員しんげき曲も季節曲も参加しているし1人はCMでソロ曲もあるのに」という人もいました。これを見て「欲張りだ」と感じる方もいるでしょう。しかし彼からすれば「担当アイドルは『声』という障壁をクリアしているのになぜこのような格差があるのか」となるわけでこれは至極まっとうな「気持ち」だと思います。
この意見で対象となっているアイドルとは別のアイドルですが、アニメにて声がついてからデレステのユニット曲と季節曲以外現状で参加曲がないアイドルというのもいます。(勘違いであればすみません)
ましてやデレステでオリメンではないながらもイベントにて歌唱メンバーに選ばれているがためにいわゆる「オリメン過激派」から出演したイベント自体をよく思われないということも記憶にあるのではないでしょうか。


次にライブですが、これは言わずもがなではないでしょうか。
一度に出演できる人数はある程度決まっていますし、周年ライブの日数もたかが知れているでしょう。

そうなれば必然的に「周年ライブに登場しない人」は出てきます。

「露出の確約」とはいかないわけです。


(また、これは偏見かもしれませんがライブによる露出が人気の向上につながるのは、各ライブにつき「パフォーマンスで魅せ」たり「新しい一面を垣間見せ」た1~5人ほどであるように思われるためこちらにもあまり期待をしない方がよい可能性は高いです)


ちなみにこれはあくまでも「全員に声がついたとき」かつ「現状の運営方針」の場合であるため、この方向での現状の改善を求めるのであれば「全員に声つけて運営方針を変えろ」もしくは「俺の好きなアイドルに声をつけろ」となるわけです。

運営方針や「全員好きなんだけど」といった反論についての簡単な考察は理由②「全員生み出したのだから責任をとれ」論に対する意見の後に書かせていただきます。




それでは理由②の「183人生み出したのだから」論について考えていきましょう。

正直これはまあ一理あるのかなと思わなくないです。
消費者は13人ないし46人ないし37人、39人、50人、52人、そして16人の「全員に声がついているアイマス」が当たり前の状態になっているわけです(46人のものに関しては数に含まれていない6人ほどが問題を抱えている気もしますが)。サービス開始当初は特に13人がいた状態ということは「こんな膨大な人数がライブで躍動するのかも」と思いをはせてしまうこともあるでしょう。

「気持ち」として間違ってはいないと思います。

しかしシンデレラガールズは「ライブありき」のコンテンツではないでしょう。
言ってしまえば「アイドル全員を生み出した責任はなぜ『声をつける』ことでとらなくてはいけないのか」というところでしょうか。

また、後述する運営方針や「全員」の問題はここにも少しの答えを与えてくれるのではないでしょうか。



おまたせしました、運営方針と「全員」にしたときの問題についてのお話です。


運営方針についてですが、「全員に声つけたうえで均等な機会を与え、かつ売り上げていく必要がある」という制約があります。まず前提として「全員声をつける」コスト、そして「均等に機会を与えたことによる売上の不安定さ」というリスクを運営は負う必要があります。このなかで市場規模が小さくなってしまってはコンテンツの問題になります。もちろん機会を均等にすればとんでもない大当たり(の売上)が出ることもあるかもしれません。しかし企業にとって不安定さは効用の減衰につながります。

一度視点をずらしてみましょう。機会を均等化するとどのようになるのでしょうか。
たとえば
モバマスで月4回、各4人(強SR1、弱SR1、R2)が登場するイベントが開催される
モバマスでは月に4回、平均5人(SR2、R3)が登場するガチャが開催される
デレステでは月に3回、平均4人(SSR2、SR2)が登場するガシャが開催される
デレステでは月平均7人が新曲のメンバーに選ばれる
デレステではイベントのSRが月に4回、各2人(強SR1、弱SR1)実装される(うち2回は新曲のイベント)

としましょうか。すると

登場 SR以上 上位や目玉
モバマスのみ 36 0 16 12
デレステのみ 23 7 20 10
モバ+ステ 59 7 36 22

といったところでしょうか。
今回は韓国組を除いた183人で考えましょう。
すると
登場:約3か月(93日)
曲:2年ちょい
SR以上:約5か月(152日)
強SR:8か月以上(250日前後)
の周期でどちらかのコンテンツで再登場することがわかりました。

この数字をどう見るかは人それぞれだと思います。
自分個人の問題としてとらえ「このくらいの周期なら今より頑張れる」と感じるかもしれませんし「俺は担当一人でやってるんだけどR待ちですら3か月待たなきゃいけないのかよ」かもしれません。
これを鑑みたうえで運営が「声優のオーディションという固定費分がこのような登場周期の均一化で回収できる」と考えたのであれば望みはあるかもしれません

しかし自分はこの数字のリスクの大きさは企業側が売上のためにわざわざとるものではないと感じています。



次に「全員」の問題点に触れましょう。

これはありとあらゆる「全員」という回答への苦言です。予めご注意ください。


唐突ですが「しずかさや いわにしみいる せみのこえ」の句はご存知でしょうか。
恥ずかしながら中学校時代の国語の授業での解説の受け売りですが、この句はいわゆる「蝉時雨」が情景として詠まれているそうです。

蝉時雨、つまり多くの蝉が鳴いている様子ですがそれが「しずかさ」という言葉で表現されているわけです。

もしかしたらこの句は論旨から外れてしまっているかもしれませんが、しかし全員を1人1人平等にみるということはつまり1人1人がその人でなくてはいけないという「かげがえのなさ」がない考え方であると考えています。

博愛主義者の方、残念ながら身近にはいませんが、はどうでしょう。あなたを愛してくれるかもしれません。しかしあなたがあなたである必要はあるのでしょうか。

博愛主義そのものを否定するつもりはありませんし基本的に全員「好き」であることは事実でしょう。しかしアイマスにおける「全員」という言葉には「誰か限定するとそれ以外の人がそうなることを望んでいないように思われてしまうのではないか」という思いが透けて見えることがあります。


現に知り合いには「全員担当。誰かをのけ者にするみたいでいやだから」という話を昔していたPがいました。この気持ちを悪いものだとは思いませんが、しかし「担当していないから好きじゃない」「声ついてほしいと明言しなかったらほかにはつかなくていいと思っている」という強迫観念のせいで結果として「自分の『特別』や『好き』をごまかしてしまう」のは得策ではないと感じます。


運営側ももしかしたらこういうことを感じているのかもしれません。


勿論この話に限りませんが気遣いは時に意見から理論を奪ってしまうので自分も含め注意したいですね。



ここで改めて確認ですが、声がついてほしいと願う理由は「露出が増えてほしい」「責任を取ってほしい」でした。

それでは「露出が増えてほしい」理由は何でしょうか。

①自分がうれしい・・・これが一番大きいでしょうか。納得ができます。問題点を挙げるなら「今既に出番がめっちゃ多いアイドルのPも同じ思いを持っている」ことでしょうか。彼らの思いを踏みにじっていい強い理由はないでしょう。

②知ってもらえる・・・これもあることでしょう。しかしここで注意したいのは「知ってもらえると何がうれしいの」ということでしょうか。機会が均等化されるのであれば人気であろうとなかろうと出番は回ってきます。もちろん「好きなものを周りに好きになってもらう」ことはうれしいことですがそれは強制するものではないですし「好きになってくれたらラッキー」というものでしょう。アイドルは183人もいるわけですから。また、周りから受ける影響というのは良いものもあれば良くないものもあります。これはあくまでも自分個人の意見になりますが「あくまでも大前提としてP(自分)とアイドルの物語」であることからするとなにかの空回りが見えることも少なくないです。


ト○タではないですが「なぜ?」を繰り返してみることも大事なのかなぁと感じます。



以上、「声がつくことをこの上ない魔法だと思ってない?」という記事でした。


読みづらい記事になってしまったかもしれません。
もし読んでいただけてたら幸いです。


ポジパ2曲目よりもNGの展開よりもサンセットノスタルジーが見たいし高森藍子は正直アインフェリアやスパロボコラボイベでそこそこ振れ幅作れたからゆっくりな歩みでもいいんじゃないかなと感じているがそんなことは口が裂けても言えないはせがわ