〼研のゴミ箱

マッスル研究会の構成員が自分が考えてることを表明します。

動機付けの観点から見たロコというアイドル はせ

ゴミみたいな文章しか書けないから人からの評価に飢えるっていう負のスパイラルに陥ってるはせがわです。


今回初めて?特に好きって明言してるアイドルの話します。

色々前提入れつつ書いていきます。多分短いです。



注意:このセクションでは「アイドルの人気」の話をしています。不快に思う方もいらっしゃるかと思うのでその場合は次のセクションに移ってください

まずこれは今回のことを考えるきっかけになった話なんですけど


最近シンデレラガールズさんの方で「声なしにSSRがつく可能性が」っていう話題が盛り上がったんですよね。そのときによく見かけた意見として「不人気だとか言ってるやつは相手の立場に立ってねえからPを名乗らないでほしい(意訳)」みたいなやつがあって。

これ正しいんですけど、なんというか


「人気」を無視しなきゃいけないのってなんか違うんじゃないかなって。



シンデレラガールズさんでは高森藍子喜多日菜子本田未央を好きって言い張ってるやつが言っていいセリフではない気もするんですけど。




実際ここで怒りを露わにした人の意味合いとしては「ろくに知りもしない知ろうともしないやつらが勝手に語ってんじゃねえ」みたいなのがそこそこ大きな部分を占めてる、と勝手に思っててその主張は正しいと思うんですけど


「不人気」って言うから悪いし「不人気」を悪いものとして捉えてるから悪いんじゃないのかなぁ、って。



不人気っつってるオタクもそうだしそれに憤慨するオタクもそうだし。

これは言ったら怒られるのかもしれないけど、「私はアイドル」の歌詞にもある「まだ私に気づいてない遅れた人たち」ってことが1番大きいんじゃないかなぁって。



実際人気不人気を完全に無視してブラックボックスに入れちゃうと露出の多寡は魅力そのものの話になっちゃうし。それこそ許されないでしょ。



んで、自分でもその辺「どう感じるか」を考えたくて色々考えてみて気づいたんですよ。



あまり話題には上がらないけどロコは「不人気」なのかもしれない、と。



これめちゃくちゃ怒られそうなんで結構ビクビクしながら書いてるんですけど、実際「人気」のバロメータとして測られるようなものに関して彼女が好成績を収めていることはあまりない、ような印象があります。


このときこの現状に憤慨するでもいいんですよ。それも1つの手かもしれない。でもどうせなら「なんでこうなんだろう」を考えたい。せめてそのステップは踏みたい。



そして「魅力に気づいてもらえてない」可能性を考えたんです。



じゃあ彼女の、ロコの魅力って果たしてなんなんだろう。


自分はなぜロコというアイドルを好きなのか。



実際入りたては初めて買ったLTPが12でミリオンの入りはそこからだった、ってところなんですよね。




ただそれはあくまでも機会の話で、じゃあおまえ今ロコのなにが好きなの?って言われたらなんて答えるんだろう、と。




1番大きいのは彼女が「表現者」だからなのかな、って。

過去記事とか、この記事も含めて読んでもらえればわかるかとは思いますけど自分は自分の思いを表現して人に伝える、ってことが苦手で。

絵を描くのが嫌いすぎて小学校時代温厚で有名だった先生に反省文書けって怒られるくらいにはなにも描かなかったりしてて。


多分その中で彼女に触れて。「自分」を表現することをここまで楽しそうにしてて、それでいてこだわってて、その「職人」感みたいなのが好きなのかなぁと。


あと単純に可愛い。


で、ここでロコの「イメージ」との乖離を考えたんですよね。ロコってどういう扱われ方してるんだろう、って。



正直めちゃくちゃ真剣にコンテンツに向き合えてる自信はそこまでないのでイメージの話になっちゃうんですけど、


「みちこ」「コロちゃん」


って呼ばれて「違いますってば〜〜〜!」って言ってるロコ、多い気がしません?


これは公式だけで考えてるわけじゃなくてロコが誰かと絡んでる、っていうものについて見たときのイメージです。


今は2人しか挙げてませんけど、杏奈と絡むときも昴と絡むときも雑に(雑ではなくて可愛がってる感じですけど)扱われて「うあ〜〜!」って感じでロコが反応してる、みたいな構図が多いなって。



でもこれロコPに聞くとそこよりもむしろ「ドヤ顔」とかの方が好きだったりする人もいるのかなぁとか。
その割にはドヤ顔の供給比較的少ないよなぁとか。


ロコの「役割」みたいなものを感じちゃって、「可能性の塊」だと思ってる身からすると少しもどかしさを感じてしまうことがあります。


あと、ロコといえば有名(?)な話として「キャラバンで干しまくったときのセリフ」があるんですけど、簡単に説明すると


全国キャラバン編っていうグリマスさんのお話があって、その中でアイドル達をお仕事させてファン数稼いでいこう、みたいなのがあったんですよね(うろ覚え)
んで、その中でアイドルを長いことお仕事させなかったりするとどんどん機嫌が悪くなっていくんですよね。
機嫌が悪くなると大抵のアイドルは「私、なにがダメなんだろ…」みたいな重い重いセリフぶち込んでくるんですけど、その中でロコは

「プロデューサー!新しい企画書、ここに置いておきますね!…前に渡した企画書へのオピニオンも待ってます♪」


って言ってたんですよね。


実はこれ自分で確認したわけじゃなくてTwitterで確認して初めて知った話だったんですけど


これ初めて知った時は雷に打たれた気分で。


解釈間違えてるかもしれないけど、仕事が回ってこない中で自分で色々模索して「これはどう?じゃあこれは?」って提案してきてくれる。すごいと思うとともに自分と比べて不甲斐なさを感じてちょっとショックを受けたんですよね。


そういう面、っていうのもあんまりフィーチャーされてはいないのかなー、とか。そこばっかりだと聖人になりすぎちゃってそれはそれでよくないのかもしれないです。



これも余談。今度は自分自身の話です。


とはいっても何度かここで書かせてもらってる話なんで手短に。


Pドルっていうものが苦手で、原因としては

「アイドルが人として俺を好きになってくれる理由が見当たらない」

ことと

「アイドルがアイドルであることをやめなくてはいけなくなるような状態で人を好きになることへの違和感が拭えない」

ことが挙げられて、


大きな原因として自分は何かの物事に「理由」ないし「そこから導かれる結果」を求めてることが多い、ってことに気づいて。


ただ同時に「理由のない好き」がめちゃくちゃ強い力を持ってることも確かであると感じられてるっていうジレンマを抱えてはいます。

だからではないけどとりあえずさっき上げた2つの違和感が拭えたらPドル許容できるのかな、とかは思います。

結局まだ許容できてないからいつかどこかで見かけた「STEREOPHONIC ISOTONICはPへのラブソング」論に対して「自分はロコを見つけてきたPではない2人目以降のP」という立ち位置を目標に置いてます(そもそもまだ担当を名乗れる「理由」「結果」を見つけられてないのでPですらないですが)



じゃあ今までの話を踏まえた上で本題。


ロコアートについて。



これは彼女の自己表現であり、もちろん彼女を語る上で絶対に外せないものだと思ってます。



アイドルになる前の彼女にとって、


これは「楽しい」からやっていたことだと思うんですね。


少なくとも周りを気にしている様子は見られない。


つまりこれは「内発的動機づけ」による行動と言えると思います。



それではアイドルになってからのロコはどうなんでしょう。


流れとして「(ロコを見出したロコの最初の)Pはロコアートの最初の理解者であり一番の理解者(唯一の理解者である・あったこともあるでしょう)」というのがあります。これは自分が触れていない頃のラプンツェルイベあたりでも出てきた話だと伺っております。



ロコアートの最初の理解者が現れ、「評価」されたんですよね。


評価、っていうのはいわば報酬、つまり「外発的動機づけ」とも言えるのではないでしょうか。



ここで、「過正当化効果」の話をしましょう。
自分は学がないためニュアンスが違うかもしれませんが、過正当化効果とは

「内発的動機づけが与えられているときに外発的動機づけを与えると目的が報酬になり内発的動機づけが減少する」

というものです。


つまり、理解者が現れたロコは「楽しい」ではなく「Pに評価されるために」自己を表現していく可能性があるということが言えると思います。



これは自分が触れていない範囲ではありますがラプンツェルイベでは「Pだけがわかってくれれば…」といったニュアンスのセリフがあったと聞いております。違っていれば申し訳ございません。


これはある種「評価」を報酬としている例として挙げられるのではないでしょうか。



しかし過正当化効果はすぐに問題が出るものではありません。


報酬が与えられているうちは。



ここで先ほどの「STEREOPHONIC ISOTONIC」の時の自分の解釈を振り返ります


「自分はロコの最初のPではなくて2人目以降のP」


…今までの仮定をそのまま適用するとこの解釈がとても危険なことがわかります



「最初の理解者であり1番の理解者」からの評価(フィードバック)をおこなうことが非常に困難な環境。過正当化効果により内発的動機づけが減少しているロコは報酬を目的としてしまっている。その場合彼女はこれまで通りロコアートを作るのか。そして彼女にとって最初のPはどういう存在になるのか。



おそらく最初の答えはNoでしょう。

そして次の答えはおそらく自分が忌避している「Pドル」かそれに限りなく近いものでしょう。





しかしロコはロコアートを作り続けている。



つまり今までの仮定になにか間違いがあった、ということ。



Pとしての立ち位置は正直ここで正解。おそらく。


まず自分自身がロコの最初の理解者になってやれる気がしない。これはなにが悪いかって話で言えば自分の感受性の問題。

そして何より、ロコがPの交代によって彼女の自己表現をやめるということがあってほしくない、というエゴがあるからでしょう。


アイドルになる前のロコの原動力は間違いなく内発的なものであったし最初の理解者であるPからの評価は彼女にとって報酬たり得るものであるはず。


それではなにが間違っているのか。


おそらく、「間のステップを飛ばしてしまっている」ことである。


自分はそう考えました。



具体的には、

「ロコは一度ロコアートへの意欲を失ったタイミングがある」

といったところでしょうか。


そしておそらくこれこそがラプンツェルイベの「Pだけがわかってくれれば…」の近辺なのかなぁ、と、勝手にそう思ってます。


確か実際のラプンツェルイベでは未来?にアートを壊されたとかがトリガーだったように記憶しています。



しかしロコはたしかに、一度ロコアートを創らない、もしくは創る頻度が大幅に下がるということがあったのではないか。



そう妄想してしまいます。



キャラバン編でのあのセリフはどちらなのでしょう。



報酬のために躍起になっているのか、


それとも一度割り切った上で「楽しい」を追い求めているのか、



……はたまた、「Pラブ」の表れなのか。





個人として1番収まりがいいアンサーは「一度答えが出て『楽しい』を求められるようになった」です。






ここまで浅瀬みたいな記事を読んでいただきありがとうございました。



解釈や記憶等々間違っているものも多々あるかもしれません。もしそうでしたら申し訳ございません。



少しでもロコについて「どうなんだろう」と思っていただいて、考えをぶつけていただけると嬉しいです。



正論がくると打ちのめされてしまうかもしれませんが、今回は打ちのめされようと思います


改めて、ここまで読んでいただきありがとうございました。


はせがわ