〼研のゴミ箱

マッスル研究会の構成員が自分が考えてることを表明します。

ミリオンソロ曲とキャラソン

僕は昔からこう言っていた。「READY!!が苦手」「M@STER PIECEが苦手」
別に曲としてはめちゃくちゃ好きだし、思い入れも相当にある。SSAのマスピでぐちゃぐちゃに泣いた記憶もある。
ただ、あれは「アニメソング」であって「アイドルソング」ではない。

アイドルは与えられた歌を歌う。それを聴き、パフォーマンスを観ている客になにがしかの感動を与える存在であるはずだ。

数行前と矛盾するようなことを言うが、765ASは曲と物語の分離が完全になされた脱文脈的な歌詞作りになっている。
彼女たちのソロ曲は、その端々からアイドルを感じることが出来るものの、それは全くもってそのアイドル自身を歌った歌ではない、と言うのが素晴らしい。

そう言った意味では、シンデレラのCMシリーズも付かず離れずの距離感が素晴らしい。
それこそAngel Breezeとか。絶妙な「そうそう!このアイドルが歌いそうな“アイドルソング”なんだよ!」って感じを出している。

メルヘンデビューの『プロデューサーさんは~』のくだりは正直アレだが、まああれはセリフ部分なので我々が聴いてるのは一般販売用ではなくP向けに歌ったものと思っておこう。

勿論、ミリオンのソロ曲にも同様な歌が多い。
例えばdear...が好例で、あの歌詞は馬場このみ、その人のわけがない。だが、彼女を感じることが出来るいい歌だ。

だがしかし、ミリオンライブにはそのような歌もあるものの、やはり「キャラソン」感が占める割合が些か高いように感じる。

別に僕はそれらの曲が嫌いではなく、むしろ好きな部類だが、しかしながらそれらはアイドルソングではなく「キャラソン」という存在である。

我々プロデューサーはアイドル達の様々な面に触れることができるので、彼女らのことを表したキャラソンも深みを感じるが、ファン達はそうではないよなぁ、と。そしてアイドルの歌う歌はファンに向けたものであるべきであると、そう言った思いがある。
いうなれば、「ずるい」のかな?曲以外のバックグラウンドからエモさを引き出すというのは、もしかしたらずるいのかもしれない。


もちろんこれは売り方や制作の違いもあるのだろう。

ミリオンライブはそもそも楽曲制作の指揮系統も従来のAS、シンデレラとは違うし、作家陣も外注で異質なものとなっている。
それに、みんながみんな同じ曲作りをしていたら単調で飽きてしまうかもしれない。

ただ、ミリオンのソロ曲はアイドルソングだけじゃなく「キャラソン」も多い。という事は覚えておきたいし、理解してもらいたかった。


だけど、あくまでアイドルコンテンツとしての残滓として、ミリオンの曲もキャラソンに振り切っていない曲もある。そういった曲を無理に解釈するのは良くない、不毛だという事も覚えておいてもらいたい。

同志