〼研のゴミ箱

マッスル研究会の構成員が自分が考えてることを表明します。

ミリオンソロ曲とキャラソン

僕は昔からこう言っていた。「READY!!が苦手」「M@STER PIECEが苦手」
別に曲としてはめちゃくちゃ好きだし、思い入れも相当にある。SSAのマスピでぐちゃぐちゃに泣いた記憶もある。
ただ、あれは「アニメソング」であって「アイドルソング」ではない。

アイドルは与えられた歌を歌う。それを聴き、パフォーマンスを観ている客になにがしかの感動を与える存在であるはずだ。

数行前と矛盾するようなことを言うが、765ASは曲と物語の分離が完全になされた脱文脈的な歌詞作りになっている。
彼女たちのソロ曲は、その端々からアイドルを感じることが出来るものの、それは全くもってそのアイドル自身を歌った歌ではない、と言うのが素晴らしい。

そう言った意味では、シンデレラのCMシリーズも付かず離れずの距離感が素晴らしい。
それこそAngel Breezeとか。絶妙な「そうそう!このアイドルが歌いそうな“アイドルソング”なんだよ!」って感じを出している。

メルヘンデビューの『プロデューサーさんは~』のくだりは正直アレだが、まああれはセリフ部分なので我々が聴いてるのは一般販売用ではなくP向けに歌ったものと思っておこう。

勿論、ミリオンのソロ曲にも同様な歌が多い。
例えばdear...が好例で、あの歌詞は馬場このみ、その人のわけがない。だが、彼女を感じることが出来るいい歌だ。

だがしかし、ミリオンライブにはそのような歌もあるものの、やはり「キャラソン」感が占める割合が些か高いように感じる。

別に僕はそれらの曲が嫌いではなく、むしろ好きな部類だが、しかしながらそれらはアイドルソングではなく「キャラソン」という存在である。

我々プロデューサーはアイドル達の様々な面に触れることができるので、彼女らのことを表したキャラソンも深みを感じるが、ファン達はそうではないよなぁ、と。そしてアイドルの歌う歌はファンに向けたものであるべきであると、そう言った思いがある。
いうなれば、「ずるい」のかな?曲以外のバックグラウンドからエモさを引き出すというのは、もしかしたらずるいのかもしれない。


もちろんこれは売り方や制作の違いもあるのだろう。

ミリオンライブはそもそも楽曲制作の指揮系統も従来のAS、シンデレラとは違うし、作家陣も外注で異質なものとなっている。
それに、みんながみんな同じ曲作りをしていたら単調で飽きてしまうかもしれない。

ただ、ミリオンのソロ曲はアイドルソングだけじゃなく「キャラソン」も多い。という事は覚えておきたいし、理解してもらいたかった。


だけど、あくまでアイドルコンテンツとしての残滓として、ミリオンの曲もキャラソンに振り切っていない曲もある。そういった曲を無理に解釈するのは良くない、不毛だという事も覚えておいてもらいたい。

同志

Pミ2018行ってきた雑記

雑記。とりあえず覚えてることメモッとく。

まずそもそも、イベントとして両日めちゃくちゃ楽しかった。トークもいろいろな内容聞けるし、懐かしかったり、知らなかったり、まあこの辺は実際に行かなきゃ説明しても意味ないかなとも思う。
朗読劇もいいね。
そして確認されたのは、やっぱり俺は765プロのプロデューサーだよね、という事かな。帰った来た、ってのに近いのかな。
平田さんが「実家の味噌汁」って言ってたけど、やっぱ帰るべき場所は765なんだなって思わされるね。
今まで765プロと共有してきた時間は消えないし、この先もなんだかんだ765を見ていきたいと思っている。

1日目のテーマトーク中に中村繪里子が「これからもアイマスが続くのが楽しみ」的な客の意見を取り上げてた流れをぶった切って
「残念だけどアイマスはいつか終わると思う。毎回毎回これが最後かもしれないし、運がいいからこの次が決まる、それが続いているだけ。みたいな心持ち。」みたいなことを言っていた。
まあ揚げ足取りをすればこの規模のコンテンツなら流石に最後のイベントは告知するでしょみたいな話もあるけど(実際やや凍り付いた場を和ませるためか、今井麻美は「中村さん、明日もあります」って揚げ足を取っていた)それは置いといて。
やっぱり765Pには、この先の不安がある。でもそれは演者も一緒だったんだなぁってのを、めちゃくちゃに思わされた。
中村繪里子765プロが「偉大だった先輩」ポジになることを危惧していた。沼倉愛美は泣きながら「アイマスを続けたい」と言った。
中村繪里子は手を離さないでと言っていた。765から手を離してしまったら、もう掴めないものなのかもしれない。

今井麻美は、この8月5日の終演挨拶をずっと前から考えてきたと話していた。しかし彼女は他MCに触発されて泣いてしまって、おそらくその内容のほとんどを話してはいない。
プロミ2017やtwitter等を考えると今井麻美もそのあたりのことを考えていたのではないのか?という感じがある。

あとはたかはし智秋釘宮理恵
理恵は、かなりオブラートに包んでたけど、いわゆる“釘宮はライブに来ない”時代の話とか。
だけど書こうと思うと書けないな。
酒飲みながら行ったオタクと話したいね。

ただLvは良くないね。オタクの話聞いてるとやっぱ全体見れなきゃだめだわこういうトーク系。歌なら中央の人抜いてればいいけど、トークは周りの反応を見れてこそだと思った。
メモはこんなもんだけど、たぶんまとめないよ。多分ってか絶対まとめないと思う。


あ、ただ、終わりよければ全て良し、的な感じで、終わり際にみんなこんな感じの話ししてたからそんな印象あるけど、全体としては最初に書いた通りワイワイガヤガヤまじで楽しかった。

同志

互換表に関するお話 はせ

お久しぶり〜〜(オタク特有の時を経たせたがるやつの発展系

てことで書いていきます


互換表あるじゃないですか。


「ミリオンライブのオタクに勧めるシンデレラガールズのアイドル」とか銘打って。


あれにオタクたち怒るじゃないですか。


互換に限らず。


「似てる」で一括りにされることに対して。




あれ気持ちわかるなーって思いながらなーんか違和感あったんですけど今ちょっとその正体わかった気がします。




多分嫌がってる人たちは一括りにされることによる「アイドルの情報の損失」を嫌ってるんだろうな、って感じなんですよね。


言うなればアナログ信者。こう書くとさすがに良くないけどflacとかlossless(綴りあやふや)みたいな感じ。



でも互換ってそういうことじゃないんですよね。


容量32GBのスマホで音楽聴くときに曲数多く入れたいからmp3にする、ってのもアリだと思うんですよ



だから互換を嫌がる人って耳が良すぎるんだなぁって思いました。



学んでいる分野の関係で「モデル化」ってのが結構密接?に関わってくるんですけどその感覚からすると少し嫌がりすぎなのかなぁとは思います。



まあモデル化する上でやり方が適切じゃないといけないってのはあるんでそこは考えどころなのかもしれません。




以上です。



……いつもに比べてめちゃくちゃ短いな????



たまにはこのくらいでポンポン出してもいいのかもしれないですね。


実は今回の話さっき気づいて結構「俺の違和感それだったか〜〜〜〜」って腑に落ちました。



耳も良くないのでファイル形式ごとの音の違いがわかってないはせがわ

楽しむことについてアイマスしか知らないオタクが御託を並べる はせ

ダミーサークルによる宗教勧誘みたい。 はせがわです。

忙しいはずなんですけど今日だけ気持ちに余裕があるので更新します。


ここ最近?でもないか、自分もたまに記事で触れている通りオタクのひりつき案件が多いように感じます。

今回はその全体に対する論調への話です。


先ほどTwitterを開いてTLを眺めていたところ「シンデレラを楽しめるのは"担当に展開があればそれそのものだけでうれしいと思える人"」という主旨のツイートがそこそこのいいねとRTとともに回ってきました。いいね、RTそのものが賛同ではありませんが一定の賛同が得られていると仮定したうえで話を進めていきます。

結論から言えばこの言説は大きな誤りである、という確信があります。

流れとして言説の確認をしてから問題だと感じた点をぐちゃぐちゃ書いていく感じでいきます。


それではまず、この言説の中身を紐解いていきましょう。

とはいえ、自分はこの言説を出した本人でもない上にこの意見に賛同しているわけでもない、さらに言えば"シンデレラガールズを楽しめる人"でもないためここから先の話は「自分から見えている"この意見に肯定的な人たちからのオタクの見え方"」となっていることに注意してください。


おそらくこの言説は先述したような「ひりつくオタク」との対比が裏に強くあることが想像できます。

理由は対比の意図がない場合別にする必要のない言説であるからです。

「楽しめる」かどうかなんて実際どうでもいいし、楽しめていないやつが目に入らなければ楽しむかどうかを規定する必要はない、といえば少しは砕いた表現になるでしょうか。

つまり、この言説の裏には最近目につく"楽しめてないやつら"がいるのです。


それでは楽しめてないやつらの特徴とは?

それは「ひりついてるオタク」に他ならないでしょう。

担当がこんな扱いをされていて許せないモチベがわかないデレステは本気でゴミ...

楽しくなさそう。確かにその通りかもしれません。

彼らは一度考えたはずです。楽しそうなオタクってどんなだ?

その結論がささいなことに幸せを感じられるだったのでしょう。

たしかにそのような人たちは楽しそうです。それは間違いないでしょう。


それではいったいこの言説のどこに誤りを見出したのか。

それは

  • 論理として強いことを言いすぎている
  • 「ひりつくオタク」のまとめ方の問題
  • 幸せや楽しいが一面的

といったものです。



まず、この言説を見直しましょう。

「楽しめる人は"喜べる人"」となっています。

つまり楽しめる人の全体集合をA、喜べる人の全体集合をBとすると

A⊆B

を言っている、ということになります。

つまり"ただ喜べない"人、Bに含まれない要素はA、つまり楽しめている人にあらず、と言っていることと同値です。

(先ほど自分も「確かに喜べる人は楽しそうである」という解釈をしましたがこれも少し危険な解釈、ということになります。
我々はしばしば元の命題が真であることの説明やそれを元にその裏や逆が正しいことを示してしまいがちである、という良い例でしょう。)

実際には先ほどの自分の"誤った"命題への解釈である"ただ喜べる"人は楽しめている人であるが正しいでしょう。

なぜか。彼らは「ひりつくオタク」ではないであろうことが予想されるからです。

彼らに見えているのはあくまでも「楽しくなさそう」であることのみ。

言説、というより命題が正しいとできる証拠がないため、一般には成り立たないと結論付けるべきなのではないでしょうか。


次は「グルーピング」の問題ですね。

これも正直憶測だらけなので注意してください。

彼らは"ただ喜べる人"やそれに準ずるものに自分を置いている可能性が高いです。全員ではないかもしれません。自虐の意味を込めているかもしれません。

しかしこれは多くの人にうなずいていただけると思っていますがいくら数が増えた(かもしれない)とはいえ「ひりつくオタク」がマジョリティーではありません。

ただ喜べる、すくなくとも「展開に対して文句を垂れる」ことはしないオタクがマジョリティーであるでしょう。その場合、最初の命題を支持している層のマジョリティーが「ひりつくオタク」である可能性はあまり考慮しなくてもよいと考えられます。そのためその前提のもと話を進めます。



そして、彼らはどうグルーピングしているのか。「喜べる側」と「喜べないときがある側(ひりつく側)」ではないでしょうか。

これは集合の区分としては行き過ぎているくらいラフである、というのが自分の見解です。

特に「喜べないときがあるオタク」に関して「楽しめていない」で括ってしまっているのは問題でしょう。

先述した通り彼らが確かであることを主張できるのはせいぜい「喜べる人は楽しめている」ことだけであり、それ以外のオタクに関しての言及はできません。

もちろん実際に直接言及はしていないのですが……

余りにもラフに区別したうえで最初の命題のような「強すぎる主張」をするとどうなるでしょう。

結果として俺らみたいな触れ方をしていないオタクは楽しめていないやつらなんだという決めつけにつながってしまうのではないでしょうか。

(少し話が逸れてはしまいますが気に食わないこと、人に対して「そういうことしかできないかわいそうな人なんだよw」という話に近いです
問題なのは彼らの行動自体でありそこに対して「かわいそう」や「楽しめてない」といった少しずれた意見はクリティカルではないと言わざるを得ません)


意見を出すうえで対象をラフにすることは有効ですが、そのときは言っている内容が確からしいものであるか、仮定の上に成り立っているのかを改めて確認する必要があるかもしれません。



最後に「幸せ」や「楽しい」の話です。

ここまで書いてきたように、今回の命題で自分が問題だと思っている部分の核となっているのは「楽しめるかどうかについての決めつけ」です。


楽しみ方が一つだけだと思っている

方はいませんか?

公式の展開に対してごたごた無駄だと思えるようなことを考えてあーだこーだ言ってる人は楽しめてない

と思っている方はいませんか?

これはPとしてのあり方につながってくる話であると感じていますが、結論から言えばただ受け入れることもあーだこーだ考えることも大事な楽しみ方なんです。

これをわかった上であれば最初の命題がいかに強すぎることを言っているかがわかるのではないでしょうか?




ここまで「あーだこーだ」書きましたがこの命題が意見として出されるというのはうなずける話だと思っています。

実際一つ前の記事
muscleresearch.hatenablog.com

で取り上げたような「ひりつき」に関しては自分は「騒ぎすぎ」だと思っていますし見ていて心地よくはないためです。

今回の「ツイート」もこのような「不快感」が根底にあったのかもしれません。

「何も感じなかった自分はおかしいのか?」「自分はコンテンツへの触れ方が浅いからひりつかないのか?」などと不安になった方もいるでしょう。

ただ、今回のようなまとめ方は結果的に自分たちの首を絞めることにつながる、と感じています。

なぜなら主語を大きくしすぎる、共感を得ようとして感情に訴えかけようとする...といったことをした結果

主張が誤ったものになってしまう

ためです。

自分の感情は押し殺していいものではないですし感じたことや意見は表明していくべきでしょう。


しかし本質からは外れないように気を付けなくてはなりません。


最近見かけるアイマスやそのオタクに対する言説はこの部分を欠いているものが多いと感じ、少し危険である、と感じました。

例えば「ひりついてるやつがうざったい」のであればなにが「うざったい」のか、なぜ「うるさい」と感じるのかを考えてみてほしいです

その中で「そういう意見を持ちたくないから」というのが出てくることもあるかもしれません。それを認めたくないのかもしれません。

しかし長いものには巻かれることもあるでしょうし何も考えていないことに「こういう考え方があるんだけど」と言われたら「そうかもしれない」と思ってしまうのは仕方のないことだと思います

大事なのは「この意見を出している人には何が見えているんだろう」と考えてみることなのかなぁと、そう思います


ここまで長々と書いたものを読んでいただきありがとうございました。

ある程度構成を練ってから書き始めてはみましたが結構支離滅裂になってしまったかもしれません……

そして後半に関しては自分自身できているか怪しいところではあるのでより一層気を付けなくてはならないですね

精進します。多分。


[Twitterであーだこーだ言ってたらその内容とか前後の言葉とかそもそもあーだこーだ言うことそのものに知り合いから苦言を呈されたのでここの更新頻度があがるかもしれない]はせがわ

担当の上位イベ はせ

さあ身の回りが色々やばいです。はせがわです。


それはそれとして書いていきます。

今までと比べて少しずつ見やすくしていきたい。です。



ミリシタで「担当の上位イベなのに知らん女の知らん曲、とまではいかないけどそういうのが悲しい」っていう意見があって、これに賛否両論色々オタクの汚いところから汚いところまで出てきてたんですけど、

まず自分としては今回の件に関して、事情を全て把握はできてないけど騒ぎすぎである、と感じました。
しかし同時に同じ意見を全P、厳密に言えば各アイドルの担当Pについて同様には語れないとも考えました。

その意見に至った視点として
①詩花の登場について
②ミリオンライブの自分なりの捉え方
③アイドルの上位イベとはなんなのか
があるのでそれぞれ見えているものの言語化をしていきます。



今回問題となっている、というより問題提起をしてくださったPの方のうちの一部の方の発言にはこのような主旨のものがありました。

「普通に詩花を上位にしてくれればよかったのに」

たしかに詩花が上位報酬であればイベ曲の扱いも納得がいくかもしれません。しかしそれはできなかった。なぜか。

詩花はミリオンライブの世界に今回「はじめまして」だからです。

つまり「詩花」というアイドルを知らないP、ファンが多く、「知ってもらう」ことが目的にある登場であった、と考えています

知ってもらうためにはより多くの人が詩花を手に入れられる必要があります。

これに関しては2016年末からモバマスで開催された「876コラボ」で876プロの3人は完走SRもしくはRで登場していたことからも今回詩花は上位報酬にはなり得ないことが納得できるのではないでしょうか。

つまり「詩花が上位ならよかったのに」は気持ちとして理解はできるけど合理的な意見ではないと言わざるを得ないです。

気になるのは当時の876コラボの時の上位報酬のアイドルたちのPがどう感じていたか、でしょうか。しかしこれは「曲」があったわけではないのであまり重視しすぎるべきではないのかもしれません。



次に、そもそも今回事件?が起きたのがミリオンライブであるということに対して、個人的には疑問がありました。

それはやはり登場周期の問題、そしてそれと関連のあるミリオンライブのコンテンツとしての姿勢があると思っています。

ミリオンライブに触れてきた方々、特に4thの武道館に触れてきた方々なら一度は聞いたであろうセリフ、

「ミリオンライブはみんなで足並みを揃えて」

これこそがミリオンライブのコンテンツとしての根幹の一つであり、現にUNION!!でも

「1人も手放さない」

と表現されていることから重要な考え方の一つであることに異論はないでしょう。


その観点から、まずある程度の「機会の均等化」が頭に浮かぶ方も多いと思います。これに対してうちの担当は全然出番が与えられず20コスが全然来なかったり、それだけじゃないと憤る方の気持ち、ごもっともです。しかし、少しずつミリオンライブとシンデレラガールズを嗜んでいる身からすればこれでも機会が与えられてるだけまともだと感じています。

ミリオンライブのアイドルの中で目玉にも上位にもなったことがないアイドルはいたのでしょうか?集計はしていません。しかし、いないでしょう。

そして、シアター組に限れば年に1回、一人一人が上位報酬になるイベントがある。



つまり、上位イベは一回きりではないといえます。それはこれからもこの先もそうであろうことが想像でき、そう想像するのが賢明ではないでしょうか。


これは自分の過剰な解釈かもしれませんが、さも「これが唯一、もしくは初めての担当イベ」であるかのような論じ方には違和感を禁じ得ません。


これが仮にシンデレラガールズであったらどうでしょう。何度も「上位イベ」がきているアイドルもいれば、いつもガチャというアイドルがいて、さらにいえばそのいずれもないアイドルがいます。


「だから我慢しろ」が言いたいことではありません。しかし、ミリオンライブというコンテンツを考えた時にその感情は一度向き合うことも必要なのではないでしょうか。





(最初に言っておきますがここの内容は自分語りを含んでいます、ご注意ください)

「担当アイドルの上位イベ」、これは一体何者なのでしょうか。


自分の感覚で言えば、「走る」ことと「楽しむ」ことは別物であると感じています。



自分の話をしましょう。

自分は「担当アイドルがいない」ということを過去記事で何度か触れています。

しかしこれは「みんな大好きだから決められないよ〜」ということではなく(もちろんスタートラインとして全員好きでいるつもりではいます)、「まだ担当を名乗れる程度になっていない」という自戒からくるものです。

そのため、「特に好きなアイドル」は存在し、その話題になったときによくあげるアイドルは「本田未央高森藍子、喜多日菜子、ロコ、周防桃子(、萩原雪歩)」となっています。

自分自身の、個人の掟として「担当を名乗るのであれば一度はイベで上位に入りたい」というものがあります。ここでいう上位はモバマスデレステでいう2000位であり、ミリシタでいう2500位、グリでいう1200位がそれに該当します。

つまり、担当イベだから走るはある程度正しいものとして自分は捉えている、ということです。

それでは実際に自分はどのようにしているでしょうか。

まずグリー。彼に然りモバマスに然り「効率の良い課金」や「無課金で勝負する方法」を体得する前にイベントに挑んだため一度一度でのアイテム消費や財布への圧迫は激しく、感動イベを含めて3度の入賞にとどまっています。
内訳は雪歩2ロコ1(TYS)(桃子0)。

そしてミリシタ。過去記事で色々のたまっていますがなかなか頑張ることができないまま今日を迎えてしまっており上位入賞は閃光HANABI高山紗代子1度のみ。

モバマス。こちらは初めて走ったのが5thアニバアイプロであったりとそもそも担当上位がくることを念頭に置かずに遊んでいます。そしてなによりスタに振ってしまっているためフェスで[ひらひらふわり]されてもイベとして走ることができません。
結果として未央1藍子1(日菜子0)ほか7。

デレステ
こちらは一転、「がんばる理由」が必要であり結果として2回の上位入賞経験は両方「高森藍子参加曲」であり、「シンデレラガールズで一番好きな曲」のFlip Flopと「本田未央上位」の情熱ファンファンファーレのみ。


ここまで見るとわかるように、「特に好き」で走っているイベもあれば「アイドル個人」がトリガーとなっていないイベがあるように感じます。


「初めて」を強く意識して走ったのは雪歩初回やTYSロコ、未央ドリフや藍子ツアーが当てはまります。しかしこの中で、高森藍子上位のライブツアーカーニバル以外は仮に「内容」がおかしくても憤慨することはなかったであろう、と考えています。

あくまでもこの意見は後出しであり、実際に今後そのような意見を出すことがないと明言するものではありませんが、この考え方には自分なりの理由があります。


それは、自分にとっての現在走っているイベを走る理由は上位報酬、そして「上位入賞したという経験」を得るためだからです。

これは非難されることもある考え方だと思います。実際こういった「走った」イベントではそのイベント内テキストをよく覚えていない、ということがままあるためその部分に関して「本末転倒である」とのご指摘をいただいてしまうかもしれません。

しかし、自分個人としてはそれでもいいと考えています。

なぜなら「上位に入った経験を有する」ことが自分の中での資格取得の1条件であるからです。

これを否定される筋合いはありません。


それではなぜ今回の件に長々と意見を書いているのでしょうか。

それは先程述べた「走る」と「楽しむ」の違いにあると思っています。


あなたはアイマスのソシャゲに関して、「なぜ上位に入賞したいですか」と聞かれてなんと答えるでしょう。

この答えは人それぞれであり、またイベントや上位のアイドルなどにもよると思います。

その上で今回の件の方の発言を振り返ると、「昴Pである」ことを文中で述べていたかと思われます。

国語の読解の問題は苦手ですが、あのツイートの中に入れたということは、「彼ないし彼女が今回のイベを走る目的は上位報酬である永吉昴にあった」と捉えるのが一般的ではないでしょうか。

それではなぜ彼ないし彼女は担当アイドルのイベントを走りたかったのでしょうか。


仮に自分の理論を適用するとしましょう。つまり、「上位入賞の経験がほしかった」というものです。この場合、あくまでも目的は「上位入賞」であるため、いくらイベ内で詩花がフィーチャーされようとも動機づけの減少には繋がらない、と考えることができます。すると「走る気がなくなる」ことはなく、現実と矛盾が生じます。
つまりこの仮定に問題があったのでしょう。ほかの仮定をします。

「彼ないし彼女にとって初めての担当上位イベであった」というのはいかがでしょう。たしかに、つい最近あった感動イベからミリオンに触れた、もしくは感動イベで走ってみたが届かず期を伺っていた、としましょう。しかしこの場合も大半は先述した「上位入賞経験という報酬」が目的となり、そうでない場合「楽しむ」ことを主眼に据えることはあっても「走る」ことを主眼に据える必要というのはないでしょう。つまり、この場合の結論は「走る理由がない」になると思われます。

それでは「今までありとあらゆる永吉昴のイベで走ってきた歴戦のオタク」である可能性も考えましょう。この場合、グリー版の頃から触れてきており、走る目的は「上位をとりつづけること」であると考えるのが自然でしょう。その場合、既に永吉昴と紡いできた物語が多い分、「内容」の寄与は先程よりも小さくなることが想像できます。つまりこの仮定も矛盾が生じます。

それではシアターデイズ特有の「新しいユニット曲を与えてもらえると思っていた」というのがなにかしらのモチベになっていた可能性を考えましょう。その場合たしかに詩花に歌われてしまってはたまったものではありません。しかし、ここでも「走る理由がない」というのが挙げられるのではないでしょうか。



大事なこととして、走って得られるのは称号と☆4のカードであり、それ以外に得られる「モノ」はほぼないということが挙げられます。

経験という報酬もありますが、こちらもカードや称号と役割に大きな違いはありません。俺はこいつのためにこんだけ頑張れたという満足のための道具と言ってしまっても過言ではないでしょう。


「動機づけには2種類ある」というのは前回の記事でも書きましたし、そもそも学校などで既に知っている方も多いかと思われます。


「楽しい」などの外的な報酬を必要としない「内発的動機づけ」

「金銭」「称号」「名誉」といった報酬を目的にした「外発的動機づけ」

の2種類です。


「走る」という行為に関しては完全に「結果期待」です。「楽しいからぽちぽち触ってたら上位報酬とれてた」という場合「走る」という表現をイベ開始直後から使う方はいらっしゃらないでしょう。
現に自分もアイドルLIVEロワイヤルでなにを思ったかSレアボール集めを楽しんでアイテムをジャバジャバ溶かした結果3088位というわけのわからない順位をとっていたことがありますがもちろんこれは「走る」ではないと考えています。仮に上位入賞していても「気づいたら走ってた」というのが適切な表現になるかと思います。


話が少し逸れてしまいましたが、重要なこととして


「自分は走りたいのか、それとも楽しみたいのか」


は考えておく必要はあるかもしれません。


この2つは独立した考え方であります。つまり今の言い方はあまり適切ではなく


「自分は走りたいのか走りたいわけではないのか」

「自分は楽しみたいのか無理に楽しまなくていいのか」

の2つの事象について吟味しておくべきである、という方が正しい主張であるかもしれません。




余談。飛ばしていただいてもかまいません。

今回「担当だから走る」ということに触れて話をしてきました。


しかし全員が全員そうではないでしょう。

これをすべて「多様性」「人それぞれ」で片付けてしまうのは簡単です。

しかし、「捉え方がどう違うのか」について考慮しないとただ「臭いものに蓋をした」だけになってしまいます。


ちなみに自分は先述した通り「担当を名乗るなら走った経験の1つや2つはないと」と自分に言い聞かせています

もちろんこれは他人に強制する主旨は全くなく、現に周りにも担当アイドルのイベントを走っていないというPがいます。


ここで考えたいのが「担当」の捉え方です。
担当アイドルはほかのアイドルと別であり、担当アイドルから見た自分もほかのPやほかのオタク、ほかの大人たちとは別である、というのが自分の考えです。

その上で「担当を名乗るだけの理由」「担当を名乗るからにはこの結果がないと」と考えたのが自分ですが、担当イベで走らないというPはここがない、もしくは考える上でイベントというものを重視していないことが挙げられます。


…これって1番強いんです。


明確な根拠がない。


「俺は〇〇だからこいつ担当だ!」という言説は説得力がありますが、〇〇の崩壊で崩れます。


しかし、「特に何もないけどこいつがうちの担当アイドル」というのは強固な言説であると言えます。

これはほかのオタクがなにを言うかに左右されず、またコンテンツの多少の揺らぎでぐらつくこともない「絶対的な自信」になり得ます。


つまり、「担当上位イベ全てで全一」よりも「強い」のです。

アイマスPは「担当だから走る」ということを一度忘れ、もしくは乗り越え、「絶対的な自信」を手に入れることこそが真の目標なのかもしれない、感じています




ここまで長々と今回の件に関連した話をしてきました。


読みやすさを考えてはみましたがhtmlの記法に慣れていないこと、自分の考えをまとめられていないこと、人に考えを伝えるということを普段からしてこなかったことなどなど、さまざまな理由で今はこの程度が限界でした。


アイドルのプロデューサー、という「ごっこ遊び」をしていく上で立ちはだかる壁はさまざまあるかと思いますがなにか考えのキッカケになるような、そんな記事になれば嬉しいです。

はせ

動機付けの観点から見たロコというアイドル はせ

ゴミみたいな文章しか書けないから人からの評価に飢えるっていう負のスパイラルに陥ってるはせがわです。


今回初めて?特に好きって明言してるアイドルの話します。

色々前提入れつつ書いていきます。多分短いです。



注意:このセクションでは「アイドルの人気」の話をしています。不快に思う方もいらっしゃるかと思うのでその場合は次のセクションに移ってください

まずこれは今回のことを考えるきっかけになった話なんですけど


最近シンデレラガールズさんの方で「声なしにSSRがつく可能性が」っていう話題が盛り上がったんですよね。そのときによく見かけた意見として「不人気だとか言ってるやつは相手の立場に立ってねえからPを名乗らないでほしい(意訳)」みたいなやつがあって。

これ正しいんですけど、なんというか


「人気」を無視しなきゃいけないのってなんか違うんじゃないかなって。



シンデレラガールズさんでは高森藍子喜多日菜子本田未央を好きって言い張ってるやつが言っていいセリフではない気もするんですけど。




実際ここで怒りを露わにした人の意味合いとしては「ろくに知りもしない知ろうともしないやつらが勝手に語ってんじゃねえ」みたいなのがそこそこ大きな部分を占めてる、と勝手に思っててその主張は正しいと思うんですけど


「不人気」って言うから悪いし「不人気」を悪いものとして捉えてるから悪いんじゃないのかなぁ、って。



不人気っつってるオタクもそうだしそれに憤慨するオタクもそうだし。

これは言ったら怒られるのかもしれないけど、「私はアイドル」の歌詞にもある「まだ私に気づいてない遅れた人たち」ってことが1番大きいんじゃないかなぁって。



実際人気不人気を完全に無視してブラックボックスに入れちゃうと露出の多寡は魅力そのものの話になっちゃうし。それこそ許されないでしょ。



んで、自分でもその辺「どう感じるか」を考えたくて色々考えてみて気づいたんですよ。



あまり話題には上がらないけどロコは「不人気」なのかもしれない、と。



これめちゃくちゃ怒られそうなんで結構ビクビクしながら書いてるんですけど、実際「人気」のバロメータとして測られるようなものに関して彼女が好成績を収めていることはあまりない、ような印象があります。


このときこの現状に憤慨するでもいいんですよ。それも1つの手かもしれない。でもどうせなら「なんでこうなんだろう」を考えたい。せめてそのステップは踏みたい。



そして「魅力に気づいてもらえてない」可能性を考えたんです。



じゃあ彼女の、ロコの魅力って果たしてなんなんだろう。


自分はなぜロコというアイドルを好きなのか。



実際入りたては初めて買ったLTPが12でミリオンの入りはそこからだった、ってところなんですよね。




ただそれはあくまでも機会の話で、じゃあおまえ今ロコのなにが好きなの?って言われたらなんて答えるんだろう、と。




1番大きいのは彼女が「表現者」だからなのかな、って。

過去記事とか、この記事も含めて読んでもらえればわかるかとは思いますけど自分は自分の思いを表現して人に伝える、ってことが苦手で。

絵を描くのが嫌いすぎて小学校時代温厚で有名だった先生に反省文書けって怒られるくらいにはなにも描かなかったりしてて。


多分その中で彼女に触れて。「自分」を表現することをここまで楽しそうにしてて、それでいてこだわってて、その「職人」感みたいなのが好きなのかなぁと。


あと単純に可愛い。


で、ここでロコの「イメージ」との乖離を考えたんですよね。ロコってどういう扱われ方してるんだろう、って。



正直めちゃくちゃ真剣にコンテンツに向き合えてる自信はそこまでないのでイメージの話になっちゃうんですけど、


「みちこ」「コロちゃん」


って呼ばれて「違いますってば〜〜〜!」って言ってるロコ、多い気がしません?


これは公式だけで考えてるわけじゃなくてロコが誰かと絡んでる、っていうものについて見たときのイメージです。


今は2人しか挙げてませんけど、杏奈と絡むときも昴と絡むときも雑に(雑ではなくて可愛がってる感じですけど)扱われて「うあ〜〜!」って感じでロコが反応してる、みたいな構図が多いなって。



でもこれロコPに聞くとそこよりもむしろ「ドヤ顔」とかの方が好きだったりする人もいるのかなぁとか。
その割にはドヤ顔の供給比較的少ないよなぁとか。


ロコの「役割」みたいなものを感じちゃって、「可能性の塊」だと思ってる身からすると少しもどかしさを感じてしまうことがあります。


あと、ロコといえば有名(?)な話として「キャラバンで干しまくったときのセリフ」があるんですけど、簡単に説明すると


全国キャラバン編っていうグリマスさんのお話があって、その中でアイドル達をお仕事させてファン数稼いでいこう、みたいなのがあったんですよね(うろ覚え)
んで、その中でアイドルを長いことお仕事させなかったりするとどんどん機嫌が悪くなっていくんですよね。
機嫌が悪くなると大抵のアイドルは「私、なにがダメなんだろ…」みたいな重い重いセリフぶち込んでくるんですけど、その中でロコは

「プロデューサー!新しい企画書、ここに置いておきますね!…前に渡した企画書へのオピニオンも待ってます♪」


って言ってたんですよね。


実はこれ自分で確認したわけじゃなくてTwitterで確認して初めて知った話だったんですけど


これ初めて知った時は雷に打たれた気分で。


解釈間違えてるかもしれないけど、仕事が回ってこない中で自分で色々模索して「これはどう?じゃあこれは?」って提案してきてくれる。すごいと思うとともに自分と比べて不甲斐なさを感じてちょっとショックを受けたんですよね。


そういう面、っていうのもあんまりフィーチャーされてはいないのかなー、とか。そこばっかりだと聖人になりすぎちゃってそれはそれでよくないのかもしれないです。



これも余談。今度は自分自身の話です。


とはいっても何度かここで書かせてもらってる話なんで手短に。


Pドルっていうものが苦手で、原因としては

「アイドルが人として俺を好きになってくれる理由が見当たらない」

ことと

「アイドルがアイドルであることをやめなくてはいけなくなるような状態で人を好きになることへの違和感が拭えない」

ことが挙げられて、


大きな原因として自分は何かの物事に「理由」ないし「そこから導かれる結果」を求めてることが多い、ってことに気づいて。


ただ同時に「理由のない好き」がめちゃくちゃ強い力を持ってることも確かであると感じられてるっていうジレンマを抱えてはいます。

だからではないけどとりあえずさっき上げた2つの違和感が拭えたらPドル許容できるのかな、とかは思います。

結局まだ許容できてないからいつかどこかで見かけた「STEREOPHONIC ISOTONICはPへのラブソング」論に対して「自分はロコを見つけてきたPではない2人目以降のP」という立ち位置を目標に置いてます(そもそもまだ担当を名乗れる「理由」「結果」を見つけられてないのでPですらないですが)



じゃあ今までの話を踏まえた上で本題。


ロコアートについて。



これは彼女の自己表現であり、もちろん彼女を語る上で絶対に外せないものだと思ってます。



アイドルになる前の彼女にとって、


これは「楽しい」からやっていたことだと思うんですね。


少なくとも周りを気にしている様子は見られない。


つまりこれは「内発的動機づけ」による行動と言えると思います。



それではアイドルになってからのロコはどうなんでしょう。


流れとして「(ロコを見出したロコの最初の)Pはロコアートの最初の理解者であり一番の理解者(唯一の理解者である・あったこともあるでしょう)」というのがあります。これは自分が触れていない頃のラプンツェルイベあたりでも出てきた話だと伺っております。



ロコアートの最初の理解者が現れ、「評価」されたんですよね。


評価、っていうのはいわば報酬、つまり「外発的動機づけ」とも言えるのではないでしょうか。



ここで、「過正当化効果」の話をしましょう。
自分は学がないためニュアンスが違うかもしれませんが、過正当化効果とは

「内発的動機づけが与えられているときに外発的動機づけを与えると目的が報酬になり内発的動機づけが減少する」

というものです。


つまり、理解者が現れたロコは「楽しい」ではなく「Pに評価されるために」自己を表現していく可能性があるということが言えると思います。



これは自分が触れていない範囲ではありますがラプンツェルイベでは「Pだけがわかってくれれば…」といったニュアンスのセリフがあったと聞いております。違っていれば申し訳ございません。


これはある種「評価」を報酬としている例として挙げられるのではないでしょうか。



しかし過正当化効果はすぐに問題が出るものではありません。


報酬が与えられているうちは。



ここで先ほどの「STEREOPHONIC ISOTONIC」の時の自分の解釈を振り返ります


「自分はロコの最初のPではなくて2人目以降のP」


…今までの仮定をそのまま適用するとこの解釈がとても危険なことがわかります



「最初の理解者であり1番の理解者」からの評価(フィードバック)をおこなうことが非常に困難な環境。過正当化効果により内発的動機づけが減少しているロコは報酬を目的としてしまっている。その場合彼女はこれまで通りロコアートを作るのか。そして彼女にとって最初のPはどういう存在になるのか。



おそらく最初の答えはNoでしょう。

そして次の答えはおそらく自分が忌避している「Pドル」かそれに限りなく近いものでしょう。





しかしロコはロコアートを作り続けている。



つまり今までの仮定になにか間違いがあった、ということ。



Pとしての立ち位置は正直ここで正解。おそらく。


まず自分自身がロコの最初の理解者になってやれる気がしない。これはなにが悪いかって話で言えば自分の感受性の問題。

そして何より、ロコがPの交代によって彼女の自己表現をやめるということがあってほしくない、というエゴがあるからでしょう。


アイドルになる前のロコの原動力は間違いなく内発的なものであったし最初の理解者であるPからの評価は彼女にとって報酬たり得るものであるはず。


それではなにが間違っているのか。


おそらく、「間のステップを飛ばしてしまっている」ことである。


自分はそう考えました。



具体的には、

「ロコは一度ロコアートへの意欲を失ったタイミングがある」

といったところでしょうか。


そしておそらくこれこそがラプンツェルイベの「Pだけがわかってくれれば…」の近辺なのかなぁ、と、勝手にそう思ってます。


確か実際のラプンツェルイベでは未来?にアートを壊されたとかがトリガーだったように記憶しています。



しかしロコはたしかに、一度ロコアートを創らない、もしくは創る頻度が大幅に下がるということがあったのではないか。



そう妄想してしまいます。



キャラバン編でのあのセリフはどちらなのでしょう。



報酬のために躍起になっているのか、


それとも一度割り切った上で「楽しい」を追い求めているのか、



……はたまた、「Pラブ」の表れなのか。





個人として1番収まりがいいアンサーは「一度答えが出て『楽しい』を求められるようになった」です。






ここまで浅瀬みたいな記事を読んでいただきありがとうございました。



解釈や記憶等々間違っているものも多々あるかもしれません。もしそうでしたら申し訳ございません。



少しでもロコについて「どうなんだろう」と思っていただいて、考えをぶつけていただけると嬉しいです。



正論がくると打ちのめされてしまうかもしれませんが、今回は打ちのめされようと思います


改めて、ここまで読んでいただきありがとうございました。


はせがわ

アイマス世界における双葉杏 はせ

すごい、なんかアイマスの話をめちゃくちゃしそうなタイトル!


はせがわです。お久しぶりです



高菜が喋ってたんで乗っかって書いとこ〜って感じででれぽの件について書きます




どっから話そう、じゃあまず卯月で。



卯月は今回の件でまず「杏の投稿(bot)なくて寂しい」と発言し、それに賛同したほかのアイドルとともに、オタクたちから「イジメだよ〜〜〜」って言われる状態の構築に一役買って(?)再開に対して「杏ちゃんよかったね」と発言したわけだけど



島村卯月の情報がデレアニからほぼ入ってると思しきはせがわからすると「もしかして成長してない?」って思ったんですよね。




デレアニの島村卯月といえば「自分はどうしたい」がないために後半わけわからんくなっちゃったわけだけど



今回誰も何も言ってなかったところにふと「寂しい」を発言できてるんですよね



まあ自分に直接関わることではないから気軽に言えた説もありますけど



そして大事なこととして「寂しい」と思ったことはおそらくまぎれもない事実なんですよね。



これは桃華美穂まゆ(まゆはややテイスト違う感じはあったけど)にも言えることだけど、彼女らは思ったことしか発言してないんじゃないかなって。



このあと出てくるかもしれないけどアイドルって最近神格化されてきてるから、その考えを適用するなら「彼女らは発言する際にイジメなどを考えることはない」ってのが確からしい主張だと思うんですよね。



思ったことを素直に発言してくれる、そんなアイドルたちなんじゃないかなって。




仮に「寂しいとは思ったけど発言はしない」状態考えましょうか。実際にそういうアイドルもいたかもしれませんし。


あなたのところの子がそれでいいですか?
せっかくのSNS、思ったことを発信してほしくないですか?


もちろん、「それは対外的に言うことじゃないしうちの子は言わない」のかもしれませんけど、183人いて誰も思いをSNSで発信してくれないのはでれぽの意義が損なわれてる、とはせがわは思うんですよね



そして大事なことだけど、思いは捻じ曲げちゃいけない。


公式のライターが書いてるって話はあるのかもしれないけど、まず一回あれを島村卯月の、櫻井桃華の、小日向美穂の、佐久間まゆの「思ったこと」として受け入れなきゃいけない。



それがこのコンテンツにおける運営との関わり方なんじゃないかなって。



「プロデューサーはごっこ遊び」。正しいと思うんです。そのごっこ遊びの中でメタ的な発言を続けてしまうとごっこ遊びは終焉してしまうかなって。もちろんある程度のそういう要素は必要ですし「中の人の要素取り入れ」とかってのも(あれはライブとゲームとをつなぐ1方策だと思ってます)見方によってはそれに入ってきますしメタ的な視点を忘れた頃に導入してみると世界が広がるとは思うんですけど



少なくとも今あなたが追いかけてるのはアイマスの運営じゃなくてアイマスでしょ。それは忘れないでほしい。





次はどうしよう、そんなに長くならないし清美かな。



清美の行動はなにも問題ないしなにも言うことないですよね。多分。



これPaアイドルの良さだと思うんですけど、彼女ら「出しゃばれる」んですよね、本来。



その観点でみるとあとあとちらっと触れますけど諸星きらりとか本田未央の流れを見て「オタクにPaの長所は受け入れられないんだな」って感じてます。



ほかのアイドルがメインっぽいところで2,3人目とかで置いとくと場を盛り上げつつPaアイドル自身の見せ場も作る。そんな感じ。違ったらコメントしてね(これに限らず間違えてたら指摘欲しいです)


ここで大事なのは、「メインのアイドルがいるからってそいつだけにスポットが当たってればいいわけではない」ってこと。今書きながら気づいた。


メインのアイドルだけで見れば「あいつがきたせいでうちの子が映る時間減ったやんけ」ってブチギレてなんらおかしくないんですよね。


ただそれってステージなりお仕事の成功で考えるとあくまでも局所的最適解じゃない?ってなるんですよね




パレート最適(意味があってるのかあやふや)の観点で捉えてほしい。というかそうしないとPaの良さが良さじゃなくなっちゃうし。



全体としてのバランス?バランスっていうとよくないな、なんて言えばいいんだろ

CoPa片面究極持ちのPaアイドルいてもフロント残りがCuPaのCuだらけだったらCuPaのPaに変えた方がいいんじゃない?みたいなあれです(計算してないから例えとして不適切かも)



これ見て「変えない方がいい場合もあるだろ」って指摘、ごもっとも



ただそういう場合だけじゃない。



じゃあ今回の件について見てみましょう。


双葉杏botをさも自分のつぶやきのように見せ、実際に多くのアイドルが騙された(ということはファンも騙されてる可能性がある)(騙すって表現が悪いって話は置いといてください)

②それに対して冴島清美が注意をして止めさせた



とりあえずここまで。これ見ていただくとわかるんですけど、「止める」判断はまだしも「注意をする」判断は必要なんですよね


それをするのが誰かって話。


ここで諸星きらりが出てきても良かったとは思うけど、ここで諸星きらりが出てくるとそれはそれででれぽの良さが損なわれると思うんですよね。



あんきらの供給だいぶ多すぎるくらいな気はするし。



んで冴島清美。妥当だしむしろめちゃくちゃいいライン。「止めさせた」ってところも含めていい調整。


だと思うんですよね。冴島清美が出てくるのはある種「そのまますぎる」かもしれないけど「そのまますぎる」で受け入れられるのが冴島清美の良さ、「出しゃばり感」かなって。



唯一問題だった点をあげるなら「反省がマジすぎる」だと思うけどむしろそれは冴島清美の特徴出てて愛しいですよね。いとしーさー、って感じ。冴島清美は沖縄出身。


(そういや冴島清美のワイドさんで缶バッジのオタクいましたけど冴島清美って沖縄から上京して中学(?)高校?に通ってるんですかね?誰か今度教えてください(調べろ))



次。じゃあオタクの話しよっか(ネットリ)



「最近デレステでひりつくオタク多くないか?」って話をよくみるしこれは確からしいと思うんすよね


統計データないんで「デレステ実装前のコンテンツひりつき」「デレステ実装後のデレステ以外でのひりつき」「デレステでのひりつき」の回数のデータとかほしいですよね。ひりつき率をまとめて二項分布として差の検定でもしてみたい。それぞれの確率低すぎて有意な差がなさそう。



まあ仮に「デレステでひりつくオタクが最近多い」を確かであるとしましょう。そうじゃない場合はここから先(次の話題まで)流し読みしてください、


なんでひりつくんだろう?を一応確認しましょうか。



はせがわが支持してる説は

デレステっていう比較的歴が浅く本流であるモバマスに対して声付きしかほぼ出てこないゲームだからこいつらが言うことは浅い」ってバイアスがかかってる

説。



特徴として「デレステ運営は」とは言っても「デレマス運営は」って言ってるオタクが少ないこと。


「住み分けできてるね〜〜〜偉いね〜〜〜」で済ませてもいいけどその住み分けが恣意的?なんて言うんだろ、「デレステへの攻撃してやるぞ」って感じがしちゃうんですよね。


昨今オタク界隈で「マウンティング」の話が出てくるようになりました(これはオタク含め人間がが知恵を身につけている過程だから起きてることであり成長の一歩だと思ってます)けどこれもその「マウンティング」に近いのかなって。




「運営のおかしい点に気づける俺」(1人称に他意はありません)(炎上ガード)に酔ってるんじゃないか?って思いでいます



はせがわもその節あるけど、「俺はこれを知ってる」って喚き散らすオタクは「幸せ」を考えてほしい。



プロデューサーさんたるものSMARTMARKであってほしいよ。俺そうなれてないけど。


多分SMARTのつもりなんでしょうね。はせがわもそのつもりなのかもしれない。



ひりつくのは別にいいけど毎回「ライターがクソ」しか言わねえから正直うんざり。ごっこ遊びを楽しむための努力をしてくれ。言い方が悪い。




あとは「ミリシタと比較して」説も提唱されてましたね。実ははせがわこれには懐疑的で、ミリシタが注目される前から、というか始まる前からラブデス佐久間まゆでひりついてましたしツインテールでひりついたときまだミリシタはそれほど注目されていなかった、というのが感覚としてあるからですかね?あとミリシタが褒められているのはライターじゃないからデレステでライターが叩かれてる話の直接の原因にはなり得ないのかな、という印象。


みなさんの「説」、お待ちしてます。




じゃあ最後、かな?杏の話します


騒ぎになってから一連の流れ見て一番違和感があったのは実は双葉杏なんですよね。



例の「イジメ」リプツリー、佐久間まゆに対して双葉杏

「大丈夫!悪用なんてしません!正しく楽しく使います!…チラッ。」

っつってるんですよね。これ見て「あれ?こいつこういうこと言うの?」って。



まず前提としての話してなかった。すくなくともはせがわの認識ではデレステはデレアニも歴史の一部分として含めたうえでの新しい世界線です。違ったらこっそり指摘してね。


んで、ここからアイドルの神格化の話になるんですけど。


例を挙げるなら諸星きらりとか佐久間まゆなのかな。本田未央もそんな感じあるけどよく知らな過ぎて言葉で言い表せない(にわか)。

きらりであればアニメ以降、「母性の塊」としての側面が強く出てるんですよね。「杏を拉致」とか「はしゃいでクラリスに説教される」とかとは無縁そうな。

まゆが「あなたたち、邪魔。」って言わなくなったのも最近の流れの中でなんでしょうね。



これ別に悪いことだとは思わないんです。どっちの側面もアイドルそのものではあるんでしょうし。ただこの二人しかり本田未央しかり、「すばらしいアイドル」だらけだなぁと。



はせがわ自身初期(は知らないけど)のシンデレラガールズさんの雰囲気の混沌とした感じはちょっと苦手でしたし今の方が楽に向き合えてはいるんですけど。



話それてきたな。戻そう。

双葉杏も割とそんな目で見てて、アニメ以降(?)「自分の利益に直接関係しないところであれば一歩引いたところから全体の空気感を考慮しつつ時にはゲーム理論的な考察を交えて行動する」感じで動いてることが多かったと思うんですよね


その考えでいくと、今回の杏ってbotがバレた時点で自分の利益ほぼないと思うんですよ。んでその仮定に基づけば「再開したい」に思考がたどり着くプロセスが見えなくて。


「再開した方がいいらしい」だと思うんですよ、杏からすれば。


これは勝手なイメージなんですけどあのタイミングではせがわのイメージの中の杏は
「えー、いいよー。めんどくさいし」
とか返してたんですよね。


その発言をすればA(頭文字に意味はないです)ってアイドルと
A「普段から呟いてね(はぁと」
杏「え、そっちの方がめんどくさい」
みたいな流れから冴島清美に「じゃあbotであることを明記するなら」って再開を促すこともできたんじゃないかなー、とか。無理かな?
なにより一歩引いて見られる杏なら「見る人によってはいじめっぽく見えてしまうかも」と思ったのでは?だとしたら悪ノリが正解だったのか?みたいな疑問が噴出します。というかしてます。


双葉杏しかり星井美希しかり伊吹翼しかり、「天才」が評価に入ってくるタイプのアイドル(こうやってくくるとまた怒られそう)を過大評価しすぎてる可能性はある。


って話をこの前オタクにしたら「再開すれば活動してる感出るから利益ではあるんでしょ」とは言われました。たしかに。一応反論として「TL汚すのとか杏嫌いそうだし自分でやるのかな?」って考えはしましたけど今まで以上に憶測が過ぎますし。


んで、ここまで考えて気づいたんですよ。はせがわ無意識のうちの「双葉杏は『めんどくさい』をすべてに出している」前提で喋ってることに。


これ正しいのかなって。仮にこれが間違っている(双葉杏はファンに対してはただの「かわいいロリ体型JKアイドル」でやってる)とするとさっきのはせがわの仮定はすべて崩れるんですよね。「めんどくさい」の発信は彼女にとっての不利益になり得るから。



ただ「めんどくさい」を出しているとする理由みたいなのはいくつか挙げられるんですよね。

①あんずのうた
→まあ一番わかりやすいかなって。CM曲の立ち位置って結構微妙だけど(メルヘンデビューの「プロデューサーさんは」のくだり)。メルヘンデビューに関してはアイマス世界でもファンは「プロデューサーさん」だとすれば問題なさそうだし現実の問題もある程度解消しそう。それ明言されたらはせがわしんじゃうけど。ただあんずのうたはまぎれもなくそのままだから理由になるなぁと。

②性格の表出の問題
→これに関しては弱そうだけど「めんどさがりつづけてるのに外でずっとそれでやっていけてるわけなくね?」って。それこそデレラジゲストのシンデレラガールズ劇場さんで思いっきり「もう飴舐め終わったからおしまい~」って感じのこと言ってるし。さすがに隠してる杏さんがそんなへまはしないので隠してないんだろうなぁと。

③今回はせがわが引っ掛かった発言にしかりでれぽ全体
→これが今回の説明では一番しっくりくるのかな。でれぽの対象者がみてるところで「…チラッ。」とか言ってるのもあれだし、今調べてきたけど初投稿が「なんて強烈な5月病…!」だし7/2には「不真面目なのは、なにも間違ってないんだけどなぁ…。」(不自然な読点)(知ってるオタク)って発言してるんででれぽの公開範囲がアイドル内のみとかいうトチ狂ったことやってたとしてもなににしても今回のでれぽ発言で「めんどくさい」を発信することに問題はなさそうなんですよね。


それもあって納得はそこまでしてなかったりします。そこまで騒ぎたいわけでもないけど。


有識者のご意見、お待ちしてます。



SNSの例でTwitter挙げると「いやあれはマイクロブログwwwwwww」って言ってくるタイプの人とは話し合いができない気がしちゃうはせがわ